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○仏間 茜、白衣を着てビニール手袋を着けている。マツ人形の体のあちこちに触れる。 近くでくすぐったそうにリアクションをするマツ。(実際にくすぐったい訳ではない) 茜とマツを眺めている拓馬、泣いている鞠子。 拓馬「ママ、どうしたの」 鞠子「おばあちゃんがね、死んじゃったからよ。可哀想にね」 拓馬「チカりんは、ばぁば寝てるって言ってたよ」 鞠子「そうね、寝てるみたいね……(泣く)」 拓馬「ばぁば、ばぁばー」 鞠子「おばあちゃん、もう拓馬とお話出来ないの。呼んでも聞こえないのよ」 拓馬「えー?」 茜「そうでもないですよ」 鞠子「……え?」 茜「亡くなってから四十九日まではご自宅にいらっしゃるって言いますから」 鞠子「そうなんですか?」 茜「ええ、多分この辺にいるんじゃないですかね(適当に手を振り回す)」 マツ、茜の手を除ける。 鞠子「ええっ(怖がる)」 拓馬「えー、どこ? ばぁば、どこにいるの?」 マツ「ここにいるよー。拓ちゃん、ばぁばはここですよー」 鞠子「(強く)止めて下さい、そんな、縁起でもない」 茜「悪いですか、縁起」 鞠子「……いえ、そういう意味じゃありませんけど……」 マツ、しゅんとする。 拓馬、鞠子の隣に戻る。 茜、ポケットから携帯(マナーモード)を出す。 茜「すいません、失礼します」 鞠子「お電話ですか?」 茜「いえ、メールが」 メールを見る。 茜「喪主が先生、……ご主人に決まったようです。納棺式も今日されるそうなので、こちらも始めさせていただきます」 鞠子「え、今の、どなたから……」 茜「青柳からです」 鞠子「(居間を振り返る様子)メールで?」 茜「ええ。この仕事は迂闊に電話出来ませんので、メール連絡が基本です」 鞠子「はあ……、あの方、メールお使いになるんですか」 茜「ええ。着メロはケミストリーです」 鞠子「……っ!(吹き出す)」 茜、鞠子を見ている。 鞠子「あ、いえ、そういう意味じゃなくて」 茜「いいですよ。言ってやって下さいよ、似合ってないって。こないだもカラオケで一人ゴスペラーズなんかやって、己を知らないにも程があります」 鞠子「ユーモアがあっていいじゃないですか」 茜「いえ、ヤツは本気なんで」 鞠子「……(絶句)」 マツ「あの人、英語の歌が歌えるのかい?」 茜「始めます」 鞠子「あ、はい」 マツ「あああ、あんまり手荒にしないでちょうだいね、お願いよ」 拓馬、鞠子の横に座る。 鞠子「……ここにいてもいいですか」 茜「構いませんけど、鼻や口に綿を詰めるんで、血だの体液だの出ますよ。平気ですか?」 鞠子「え……(戸惑う)」 茜「三〇分ほど掛かりますんで、居間でお待ち下さい。向こう、手伝ってあげた方がいいと思いますよ。決めることたくさんあって、ご主人一人じゃ大変でしょうから」 鞠子「……じゃあ、私は。(立ち上がる)拓馬、いらっしゃい」 拓馬「僕、ここで見てる」 鞠子「ダメよ。お仕事の邪魔になるから」 拓馬「邪魔しないもん。見てるだけだもん」 茜「いいですよ、いても」 鞠子「そうですか……」 茜「邪魔になったら叩き出します」 鞠子「え」 茜「冗談です」 鞠子「……はぁ……」 茜「いい子にしてる?」 拓馬「僕、いい子だよ」 茜「ならどうぞ」 鞠子「……よろしくお願いします」 鞠子、出て行く。 拓馬「ね、ばぁば、もう起きないの?」 マツ「拓ちゃん、ごめんなさいね」 茜「……亡くなったからね」 拓馬「なく・なった?」 茜「死んじゃったってこと」 拓馬「死んじゃったら起きないの?」 茜「普通はね」 拓馬「でも、さっきいるって言ったじゃん」 茜「見えるとは言ってない」 拓馬「(マツ人形を指差す)見えるよ。ここにいるよ」 茜「……そうだね」 拓馬「ばぁばー。聞こえるー?」 茜、布団をめくってマツ人形の足に触る。 拓馬「おばちゃん、さっきから何してるの」 茜「……(無視)」 拓馬「ねえ、おばちゃん」 茜「女性に対して〈おばちゃん〉と言うな。モテないよ」 拓馬「……じゃあ、お姉ちゃん?」 茜「真木茜」 拓馬「まきちゃん? あかねちゃん? どっち?」 茜「……茜でいいよ。あんたの姉ちゃんじゃないし」 拓馬「何してんの、茜!」 茜「飲み込みが早いね。そう言うの好きだよ」 拓馬「へへっ」 茜「茜はおばあちゃんのお体を調べてるの」 拓馬「何で?」 茜「お葬式の時、おばあちゃんに会いにたくさんの人が来るから、一番綺麗なおばあちゃんにしてあげるの」 拓馬「ばぁば、前から綺麗だよ」 茜「そうだね」 マツ、照れる。 拓馬、首を傾げている。 茜、鞄から道具入れ、綿を出す。 拓馬、興味深げ。 茜「怖くなったらママんとこ行きな」 拓馬「怖くないよ。男だもん」 茜「男だって怖い物あるでしょ」 拓馬「ママが言ってた。男の子は泣いちゃダメって」 茜「でも、パパは泣き虫じゃない?」 拓馬「パパ? 泣かないよ」 茜「……ふうん、そ」 拓馬「茜、パパのこと知ってるの?」 茜「……昔ね」 拓馬「昔? 昔って?」 茜「うるさい。大人しくしてな」 拓馬「……はーい」 部屋に入ってくる三郎、チカ。 三郎「はっはー、ホントに茜だ。いよーう、久し振りぃ」 茜、一瞥して、無視。 三郎「何だよー、無視かよー」 チカ「サブちゃん、知ってる人?」 三郎「昔よくウチに来てたんだ」 マツ「え? ウチに?」 チカ「何でぇ?」 三郎「イチロ兄ちゃんの教え子だったんだよなっ」 チカ「ふーん。(茜に近付く)初めましてー、チカりんでーす」 茜、チカを無視。 チカ「(三郎に)酷くなーい?」 三郎、チカの頭を撫でてやる。 マツ、茜の顔をよく見る。 マツ「……ああ、そう言えば見たような……。ん? この子、勇一郎の……」 三郎「なぁ、これって時間どれくらいかかんの?」 茜「大体三〇分」 三郎「拓馬、お姉ちゃんお仕事するから、ママのとこ戻ろうか」 拓馬「やだ。茜と一緒にいる」 三郎「こーら、呼び捨てにしちゃダメだろ。このお姉ちゃんは怖いんだぞー。拓馬、解剖されちゃうぞー」 拓馬「かいぼー?」 茜「バラすのは専門外」 拓馬「茜が茜でいいって言ったもん」 三郎「言ったの?」 茜「〈おばちゃん〉よりマシ」 三郎「なるほど」 ピンセットを出し、作業を始める茜。 見ながら段々近付いていく、三郎、チカ、拓馬、マツ。 茜「あっ!」 マツ「えっ!?」 チカ「えっ!」 拓馬「え?」 三郎「どうした!?」 茜「……冗談」 三郎「お前、ふざけんなよ」 チカ「ビックリしたあ」 マツ「心臓に悪いよ。……そうでもないか」 茜「あんまり注目するから、つい」 マツ「ついって、あんたね」 拓馬、マツを指差して笑う。 拓馬「茜、茜。ばぁば、すげー。鼻毛ボーボーだぁ」 三郎、チカ、覗いて、笑いを堪える。 マツ、顔を覆う。 茜、拓馬の尻を叩く。 拓馬「いてっ!」 茜「あんたも鼻毛あんでしょ。これから綺麗にするんだから黙ってな」 拓馬「……はぁい」 黙々と作業する茜。拓馬、暇そう。 拓馬「……三郎おじちゃん」 三郎「ん?」 拓馬「ばぁば、カワイソーだね」 三郎「そうだね」 チカ「拓馬……」 拓馬「カワイソー、カワイソー」 チカ「分かるんだね、拓馬」 茜「分かってないよ」 三郎「え」 茜「〈カワイソー〉って言葉使いたいだけじゃん」 拓馬「……だって、死んじゃったんでしょ」 茜「そうね。だから?」 拓馬「死んじゃったら〈カワイソー〉なんでしょ」 茜「……ママがそう言ったから?」 拓馬「……うん……」 三郎「茜?」 茜「いい、拓馬。人はみんな死ぬの。可哀想なのはおばあちゃんじゃなくて、もうおばあちゃんに会えない拓馬だし、ママだし、パパだし、(チカを見て)……名前何だっけ」 チカ「チカりんだってば」 茜「チカと、三郎も可哀想だよ」 拓馬「僕が〈カワイソー〉なの?」 茜「あたしはそう思うけど」 チカ「でも、おばあちゃん、もうみんなに会えないんだよ。それって、やっぱ可哀想なんじゃない?」 茜「こっちからは見えなくても、ばあちゃんはきっとこっちが見えてるよ」 チカ「……茜ちゃん、こーゆーお仕事してたら見えたりするの?」 三郎「そう言えば見えそうだよな」 マツ「あんた、見えてんのかい?」 マツ、三郎と茜の間に座る。茜にアピール。 茜、道具を置いて三郎(マツ)を見つめ、ゆっくりと指を指す。 茜「……そこに、ばあちゃんが……」 三郎・チカ「えええっ!」 茜「……いる訳がない」 三郎、チカ、マツ、コケたり倒れたり。 茜、作業に戻る。 拓馬、キョロキョロする。 三郎「あ〜か〜ね〜」 茜「あんたたち、あたしを何だと思ってんの」 拓馬「茜、ばぁばどこ?」 チカ「……拓馬……」 拓馬「(部屋を歩き回る)どこにいるの? 茜には見えるの? 僕、見えないよ!」 三郎「どうすんだ、茜」 茜「……」 拓馬「ばぁば、ばぁばー?」 三郎「……拓馬、拓馬には見えないんだよ」 拓馬「どうして?」 チカ、心配そうに三郎の袖を引く。チカの頭を撫でる三郎。 三郎「えーと、……茜はばあちゃんをキレイにするお仕事だから、神様が特別に見せてくれるんだ」 拓馬「じゃあ僕、お手伝いする。そしたら見える?」 三郎「うーん……」 チカ「サブちゃあん……」 茜「――ダメだよ」 拓馬「何で?」 茜「このお仕事は国家資格がいるの。お手伝いするにも試験があるし」 拓馬「コッカシカク?」 茜「いろいろ勉強しないといけないの。拓馬はまだ子供だからダメ」 拓馬「じゃあ、大人になったら出来る?」 茜「たくさん勉強したらね」 鞠子、部屋に入ってくる。 鞠子「失礼します。雅二郎さんと誠子さんがお弁当買って来てくれたんです。お昼にしませんか」 三郎「そっちの話は進んだ?」 鞠子「ええ、何とか。本格的に準備が始まるといつお食事を摂れるか分からないので、今のうちにって、青柳さんが」 三郎「チカ、拓馬連れてって」 チカ「サブちゃんは?」 三郎「もうちょい見てく」 拓馬「僕も見るー」 チカ「拓馬、行こ」 拓馬「やだやだー」 チカ「早く行かないと、拓馬のご飯、取られちゃうぞー」 拓馬「……取られる?」 チカ「そっ。拓馬の分、ジロちゃんが食べちゃってるかもよ?」 拓馬「ダメー、行くー!」 拓馬、出て行く。チカ、後を追う。 鞠子「茜さんも、よろしかったら」 茜「結構です、仕事中ですので」 鞠子「でも、茜さんの分もありますから」 茜「途中で放って行けと?」 鞠子「それは……ちょっと……」 茜「でしょう?」 三郎「終わったら行くよ」 茜「あんたも行きな」 三郎「だってばあちゃんに会うの久し振りなんだもん。いーじゃん」 鞠子「じゃあ、お先に……」 チカ、戻ってきて。 チカ「サブちゃん、あとでねっ」 三郎「うん」 鞠子、チカ、出て行く。 三郎、茜から少し離れて座る。 茜、作業再開。 茜「……悪かったね、適当言って」 三郎「純粋だな、子供って」 茜「ホント、嫌になるよ」 三郎「にしても、すごいな。これって国家資格いるんだ。なんての?」 茜「納棺技師」 三郎「へー。偉そうじゃん」 茜「偉いんだよ。先生と呼べ」 三郎「やーだよー。気持ち悪い」 茜、笑う。 三郎「……どした?」 茜「誰が子供なんだか」 三郎「え」 茜「信じてんじゃないよ、ったく。三郎、相変わらず単純だよね」 三郎「え、嘘ぉ?」 茜「資格なんてないよ。こんなの」 三郎「なーんだぁ。喜んで損した」 茜「何を喜ぶの」 三郎「茜がそんなに偉くなったのかーって。嬉しいじゃん、弟としては、さ」 茜「誰が弟よ」 三郎「あの頃、俺はそう思ってたよ。だってイチロ兄ちゃんとあのまま上手く行ってたら、茜、俺の姉ちゃんだったんじゃん?」 茜「……そんなの、一〇年以上前の話だよ」 三郎「もうそんなかあ。あ、結婚は?」 茜「してない」 三郎「ふぅん」 茜「そっちは、さっきのあれ、奥さん?」 三郎「あれって言うなよ。(結婚は)まだだけど、ついさっきメドが立った」 茜「お幸せに」 三郎「うん、なるよ。結婚式、呼んでやろっか?」 茜「呼ぶのはそっちの勝手だけど、行かないよ」 三郎「何で」 茜「友達でもないのに何でご祝儀吸い取られなきゃいけないのよ。仕事も忙しいし」 三郎「世知辛いなあ。弟の結婚式だよ?」 茜「本物の姉ちゃんに頼みな。奥さん、優しそうな人じゃん」 三郎「うん、優しくて料理が上手くて、おまけにキレイ好き。完璧だね」 茜「あそ。そりゃよかった」 三郎「……なんか、無理してるっぽくねぇ?」 茜「してないよ。先生さ、おっさんぽくなったよね。腹出てんじゃない?」 三郎「なんせ飯が美味いからね」 茜、手を止めて辺りを見回す。 茜「ここん家はいいね、相変わらずでさ。みんな元気だし」 三郎「一人元気じゃないけど」 三郎、マツ人形を見る。 茜「……ばあちゃんは、痩せたね」 三郎「入院してたからね。もう八十八だし」 茜「うん、昔はもっと大きく見えた」 三郎「茜、受験にかこつけてしょっちゅうウチ来てたもんな。あ、一度、イチロ兄ちゃんの部屋に隠れて泊まろうとして、ばあちゃんに見つかって説教されただろ。覚えてる?」 茜「忘れらんないよ。二時間正座したんだから」 三郎、笑う。 マツ「(思い出す)ああ〜……!」 三郎「でも、茜んちとウチの両親には黙っててくれたんだよね」 茜「うん、そだね……あ!」 マツ「え!?」 三郎「バーカ、もう引っかかんねぇよ」 茜「入れ歯取れちゃった(見せる)」 三郎「うわぁ!」 茜「外しちゃっていいね。入ってるとやりにくくてさ」 三郎「い、いんじゃねぇ?」 茜「じゃあ下も」 茜、マツの入れ歯を外す。 三郎「うわお! 止めろよ、ちょっとビックリしちゃうだろ」 茜、笑う。三郎、笑う。 マツ「遊んでんじゃないよ、人の歯で」 三郎「……なぁ、イチロ兄ちゃん、呼んで来てやろうか」 茜「いいよ、話ないし」 三郎「無理してんのミエミエなんすけどー」 茜「うっさい。出てけ。邪魔。――バカ」 三郎「最後、全然関係ないんだけど」 茜「向こうで飯食ってくれば」 三郎「たまには素直になればいいのに」 茜「……弟が生意気言うんじゃないよ」 三郎「……はーい」 三郎、立ち上がり、出て行こうとして振り向く。 三郎「茜」 茜「(三郎を見ずに)んー?」 三郎「茜も変わってないよ。昔のまんま」 茜「……あっそ」 三郎「早く結婚しろよ」 茜「知らないの? 一人じゃ出来ないんだよ」 三郎「兄ちゃんらも俺も幸せだからさ、茜も幸せじゃないとヤだよ」 茜「……教えてよ」 三郎「え」 茜「なんだろね、あたしの幸せって」 三郎、戸惑う。茜、苦笑い。 茜「少なくとも、人から貰うもんじゃないんだろうね」 三郎「茜なら、自力で幸せになれるよ!」 茜「よく言われるよ」 二人、笑い合う。 出て行く三郎。作業に戻る茜。 マツ、人形を覗き込み、化粧の具合を見る。 マツ「何か、こう……口元が曲がってないかい? 右にね、隙間があるんだよ。ほらこっち、見てご覧よ、ちょっと開いてるだろう? ここをきちっとして貰うといい感じになるんだけど……。あと、ここのシワ、何とかなんないもんかね? もっとぎゅーって伸ばして貰っていいんだよ。全く、死んじゃったらせっかくの美人が台無しだね。……ん?」 茜「……バカヤロ」 マツ「え?」 茜、涙ぐんでいる。マツの顔をあちこちいじるが、上手く行かない。 茜「もぉやだ……」 マツ「な、泣かなくてもいいんだよ。悪かったよ、わがまま言って。しょ、しょうがないよね、年だもん。シワぐらいあるよね。口元だってここまでやってくれたんだもんね。ほら、鼻毛までキレイにしてくれたし、もう十分……」 茜「(思い切り良く顔を上げる)いかん。仕事が先だ。しっかりしろ。泣いてる場合じゃないよっ。(作業再開)あー、ダメだなあ、どうしてもこの隙間が上手く……。んー……、やっぱくっつけるか」 マツ「え、ちょっと、あんた、何で泣いてたの? ん、ん?」 茜、道具入れから接着剤を取り出す。 マツ「へ? あんたそれ、セメンダインじゃないの!?」 茜「あ、固まってる。ちっくしょー(チューブの詰まりを直す)」 マツ「使うの? それ使うの?」 勇一郎、入ってくる。 勇一郎「……ちょっといいかな」 慌てて接着剤を落とす茜。勇一郎、拾う。 勇一郎「……セメンダイン? 何に使うの、こんなの」 茜「……ア、アロンアルファなんだけど」 勇一郎「同じだろ?」 茜「違うよ、全然。しかも何、〈セメンダイン(・・・・・・)〉って。それ言うなら〈セメダイン〉だよ」 マツ「違うのかい?」 勇一郎「ばあちゃんはセメン(・)ダインって言ってたよ」 茜「ああそうね。お年寄りと関西のおばちゃんはそう言うかもね」 勇一郎「名前が違うだけじゃないの」 茜「セメダインは乾かすのに時間が掛かるけど、アロンアルファは即効性」 勇一郎「ふうん。……で、何に使うの?」 茜「え、いや、その……。鞄の、調子が悪くて……」 勇一郎「見てやろうか?」 茜「お構いなく! で、何? まだ終わってないけど」 勇一郎「あ、うん。続けて」 茜「……」 茜、接着剤をしまう。ホッとするマツ。作業を黙って見ている勇一郎。 茜「……あのさ」 勇一郎「え、何っ?」 茜「用事ないなら向こう行ってて。やり辛い」 勇一郎「……ごめん」 茜「謝らなくてもいいよ」 勇一郎「あ、いや、あの……、昔のこと、いろいろ、さ。ちゃんと謝ってなかったし」 茜「今更いいよ」 勇一郎「……」 茜「連絡先教えなかったの、あたしだし」 勇一郎「……怒ってたからだろ」 茜「まあね。親は離婚するし、大学には落ちるし、おまけにこっちがパニくってるうちに彼氏は浮気するし」 勇一郎「俺、浮気してないぞ。あの日行けなかったのは他の生徒に進路相談受けてて……」 茜「その生徒って、あの奥さん?」 勇一郎「……」 茜「分っかりやす」 勇一郎「いや、でも、あの時は」 茜「どっちでもいいよ、もう。昔のことでしょ。今は可愛い奥さんがいて、子供もいて、幸せそうで結構じゃない」 勇一郎「茜」 茜「あたしはあなたのおばあちゃんが亡くなって、ウチの会社に葬儀の依頼があって、会社から行って来いって言われて来てんの。全くの偶然だし、あなたに恨み言や話があってここに来たんじゃない」 二人、沈黙。 勇一郎「ばあちゃんのこと、よろしくな」 茜「……(笑う)」 勇一郎「何だよ」 茜「先生に頼ってばっかだったあたしがさ、頼られるようになったんだなーって。やっぱり年取ってんだよね」 勇一郎「まあな」 茜「殴るよ」 勇一郎「――嘘です」 茜「ま、変わるよね、人はさ」 勇一郎「変わらないよ」 茜「……」 勇一郎「お前はお前のまんまだ」 茜「(ため息)……。ったく、どいつもこいつも」 勇一郎「ん?」 茜、苦笑い。 茜「……ばあちゃんのお気に入りの着物、探しといてよ。もう少ししたら声掛ける」 勇一郎「分かった」 勇一郎、出て行く。茜、涙ぐむ。 マツ「いよいよかい。あー、ドキドキするよ。なんせ生まれて初めて……いや、死んで、初めて? ううん……」 茜「(茜、涙を拭う)どうしてあいつら全然変わんないんだよ。三兄弟がバカ正直に人の良さそうな顔並べやがって。変わってないとか簡単に言うなよ。あたしは、あたしだって……」 マツ「あんたはさっきから、何泣いてるんだい……」 茜、深いため息。涙を拭う。マツが触れようとしたところで勢いよく顔を上げる。 マツ「わっ!」 茜「えーい、畜生! 先生に頼まれたらやるしかないじゃん。やってやろーじゃん! ばあちゃん、もうちょっとだから、我慢してねー」 茜、ピンセットで唇を引っ張る(真似)。 マツ「あ、痛い、痛くないけど、何となく痛い。も、もっと優しく出来ないもんかね、あんた……」 茜「ばあちゃん怖かったけどさ、結構好きだったよ。……ばっちり綺麗にして、じいちゃんとこに送ってあげるからね」 マツ、正座。 マツ「……任せたよ」 暗転。 ○居間 テーブルを囲む雅二郎、三郎、鞠子、誠子、拓馬、チカ。空の弁当が散乱している。 チカ「ご飯食べると眠くなっちゃうねー」 三郎「言えてる〜」 誠子「ちょっと寝ないでよ。これから忙しくなるんですからね」 三郎「へいへーい」 誠子「お義母さんとはまだ連絡取れないの?」 鞠子「ええ。あちらから電話して来ないことにはどうにも……」 雅二郎「あれ、葬儀屋のおっさんは?」 鞠子「一度会社に戻って、必要な書類を揃えてこられるそうです」 チカ「あ、鞠ちゃん、拓馬寝ちゃってるよ」 鞠子「あら」 三郎「連れて行こうか?」 鞠子「平気です。拓馬、お寝んねするなら二階行こっか?」 拓馬「うーん……(眠そう)おんぶぅ……」 鞠子「しょうがないなあ、はい」 拓馬、鞠子の背中に乗る。 鞠子「ちょっと失礼します」 鞠子、拓馬をおぶって出て行く。 誠子「さて、こっちも準備始めましょ。チカさん手伝ってちょうだい」 チカ「なぁにぃ?」 誠子「今夜から町内会の方がお手伝いに来て下さるそうだから、今のウチにおにぎりとお茶の用意をしておくのよ。そうそう買いに行ってられないし。……あなた、おにぎり、作れる?」 チカ「あー、バカにしてるぅ。それくらい出来るもん。ね、サブちゃん」 三郎「チカ、海苔だけ巻かせて貰いな」 チカ「サブちゃん!」 三郎「チカの手料理、他のヤツに食わせたくないからさっ」 チカ「やぁん、もう! サブちゃんってば、ヤ・キ・モ・チ・屋・さん! チカ、頑張ってくるね〜」 チカ、誠子、出て行く。 雅二郎「……おにぎりだぞ?」 三郎「多分無理」 雅二郎「マジで?」 三郎「愛がないと食えない」 雅二郎「お前、苦労するぞ」 三郎「大丈夫。(強めに)愛があるから!」 雅二郎「明日ついでにお前の冥福も祈ってやるよ。……あれ、兄貴は?」 三郎「茜んとこ」 雅二郎「二人か?」 三郎「ばあちゃんがいるよ」 雅二郎「それ、いるって言わねぇよ」 三郎「ね、ね、元鞘とか、なっちゃったりしちゃったりして」 雅二郎「兄貴は結婚してんだぞ。そんなバカじゃねぇよ、茜は」 三郎、雅二郎を見る。 雅二郎「……んだよ」 三郎「ジロ兄ちゃんも、結構、茜のこと気に入ってたよね」 雅二郎「は! はぁぁ!? (動揺)んなことねぇよ。あんな、ガラ悪ィ女」 三郎「ジロ兄ちゃんってお義姉さんみたいなタイプに弱いくせに、付き合うのって気の強い人ばっかだよね。誠子さんなんてその典型」 雅二郎「うるせぇ」 三郎「茜、あの頃より綺麗になったね」 雅二郎「前がよっぽど悪ィんだろ」 三郎「俺、様子見てこよっかな」 雅二郎「バカ、止めろ。くだらねぇ」 三郎「だってジロ兄は興味ないの? 思いがけず再会した二人。片や妻子持ち、片や独身。こりゃ何か起こりそうな予感……」 雅二郎、立ち上がって出て行こうとする。追いかける三郎。 三郎「やっぱ気になるんじゃん」 雅二郎「俺が気になってんのは、ばあちゃんの化粧だよ」 三郎「嘘くせぇー」 勇一郎、入ってくる。 勇一郎「どうした?」 三郎「……早いね」 勇一郎「悪いか」 三郎「べぇっつにぃー」 雅二郎、座り直す。 雅二郎「ばあちゃん、どんな具合だ」 勇一郎「もう少し掛かるって」 雅二郎「そっか」 勇一郎「みんなは?」 三郎「チカと誠子さんは台所。鞠子さんは拓馬が寝ちゃったんで二階に連れて行った」 勇一郎「……そうか」 勇一郎、座る。 三郎「……なんかさぁ……」 三郎、部屋を見回して深いため息。 雅二郎「……なんだよ、途中で止めんなよ」 三郎「今度からウチ帰って来ても、ばあちゃんいないんだなぁ……」 三人、脱力。 勇一郎「ばあちゃんいっつもお前らのこと心配してたよ。特に雅二郎」 雅二郎「俺?」 三郎「ジロ兄ちゃんが一番、ばあちゃんと遊んでたよね」 雅二郎「ガキの頃、花札と麻雀はばあちゃんに教わったからな」 勇一郎「お前の喧嘩っ早いところがじいちゃんにそっくりだってよく言ってた」 雅二郎「ばあちゃん似の間違いじゃねぇの」 三人、笑う。 勇一郎「昔、怖かったなあ、ばあちゃん」 雅二郎「そうそう。ばばあのクセにやたら力あんだよ。ちっちぇのにさ」 三郎「肩幅すげえからじゃん?」 三人、爆笑。 三郎「でもばあちゃん、俺には優しかったよ」 雅二郎「お前要領良かったもんな」 三郎「ジロ兄ちゃんが悪いんじゃん? (雅二郎に殴られる)――いってぇ!」 雅二郎「兄貴」 勇一郎「ん?」 雅二郎「俺も協力するからさ、ばあちゃんのこと、ちゃんとしてやろうな」 勇一郎「……ああ」 雅二郎、三郎、ため息をつく。 三郎「あーあ、兄貴に殴られてばっかで、俺、バカになっちゃうよ」 雅二郎「うるせぇ、弟の宿命だ」 三郎「三男なんて損ばっかだ」 三郎、寝転ぶ。 雅二郎「んなことあるかよ。お前だけじいちゃんばあちゃんにおもちゃだの服だの内緒で買って貰ってたじゃねぇか」 三郎「……知ってた?」 雅二郎「ったり前だろ。俺なんて親からもじいちゃんばあちゃんからも放っておかれてたんだからな。一番損なのは次男じゃねぇか」 三郎「ジロ兄ちゃんはおもちゃ買ってもすぐ壊しちゃうし、服は汚しちゃうから買って貰えなくなったんだよ。次男だからどうこうって法則は成立しないね。そんなこと言い出したら、イチロ兄ちゃんは〈勇一郎〉、ジロ兄ちゃんは〈雅二郎〉なのに、何で俺だけだだの〈三郎〉なんだよ。父ちゃんも母ちゃんもどう考えても手抜きじゃん。どうでもいいんじゃん、面倒くさいんじゃん。俺のことなんて」 雅二郎「バカ、お前、俺なんかロクに見たことないような頭の爆発したオヤジと同じ名前ってだけでどれだけバカにされたと思ってんだ。おう、じゃあやるよ。お前が今日から〈雅二郎〉だ。この名前で生きてみろ! 何かってーとネタにされんだぞ、合コン行ってもオチに使われんだぞ。めちゃくちゃ苦労するからな!」 三郎「ジロ兄、まだ合コンなんて行ってんの」 雅二郎「昔の話に決まってんだろっ」 三郎「……(考えている)三郎でいいや」 雅二郎「お前ホントにムカつくな」 勇一郎「長男だってそんなにいいことないぞ。気付いたら……喪主だし」 雅二郎「まだ言ってんのか。いいからやっとけよ。今のうちにやっとけば父ちゃんと母ちゃんの時に役立つぞ」 勇一郎「お前なあ」 SE:皿の割れる音 雅二郎「何だ、今の」 勇一郎「何か割れたんじゃないか」 勇一郎、出て行く。 三郎「(頭を押さえて)……やったな」 雅二郎「お前行かねぇの」 三郎「いーでしょ。誠子さんいるんだし」 三郎、寝転ぶ。 三郎「……兄ちゃん」 雅二郎「んだよ」 三郎「俺、ジロ兄ちゃんがイチロ兄ちゃん殴るの見たことない」 雅二郎「兄貴だからな」 三郎「それだけ?」 雅二郎「……借りがあんだよ」 三郎「借り?」 雅二郎「お前が生まれたばっかの頃かなあ。俺、一人で家ん中でサッカーしてて、座敷にあったばあちゃんの花びん割っちまったんだ。ばあちゃんが飛んできたんで、俺、とっさに押入れに隠れてさ。ばあちゃん、花びん見て鬼みたいに怒って……。俺、出て行けなくなってさ。そしたら兄貴が廊下から顔出して、ばあちゃんに言ったんだ。自分が割ったって。庇ってくれたんだ、俺のこと」 三郎「へえ、あのイチロ兄ちゃんが?」 雅二郎「(頷く)……。兄貴、庭の物置に一晩閉じ込められて、晩飯も抜きだよ。なのに次の日、物置から出てきても、俺に文句ひとつ言わねぇんだよ。やっぱ兄貴だなあって、な」 三郎「初めて聞いた」 雅二郎「ん?」 三郎「イチロ兄ちゃんの武勇伝。見直しちゃうなあ」 雅二郎「最初で最後だからな。あれ以来、すっかりへなちょこだ」 三郎「そん時のことがトラウマになってんじゃないの? ジロ兄ちゃんのせいかも」 雅二郎「知るかよ、時効だ、時効」 三郎「俺、あとでばあちゃんにチクっちゃお。……って、ジロ兄?」 雅二郎、三郎にさそり固め。 三郎「イテッ! 兄ちゃん、痛い、マジ痛いって!(苦しがる様子)」 暗転。 ○仏間 茜、マツ人形の髪を整える。 部屋を覗きこむ鞠子。 茜「……入っていただいて構いませんけど」 鞠子「えっ、あ……。失礼・します……。(茜の側へ)あの、おばあちゃんのメガネ、お棺に一緒に入れてあげたいんですけど、いいでしょうか」 茜「かしこまりました。お預かりします」 茜、枕元にメガネを置く。マツを覗き込む鞠子。 鞠子「ありがとうございます。とても綺麗にして頂いて」 茜、礼。 鞠子「まるで眠っているみたいですね……」 鞠子、マツに手を合わせる。 茜「じゃあ、皆さんをこちらに呼んで頂けますか」 鞠子「はい」 鞠子、出て行きかけて振り向く。 鞠子「……あの……」 茜「はい?」 鞠子「(何か言おうとして止める)……あ、拓馬も、連れて来た方がいいんでしょうか。……寝てるかもしれないんですけど」 茜「出来れば皆さんの手をお借りしたいですけど、寝てるなら無理に起こさなくてもいいですよ」 鞠子「そう、ですか……」 茜「ええ」 鞠子「……」 茜「何か?」 鞠子「……あの、私……」 茜「……」 鞠子「あなたとお会いするの、初めてじゃないと思います」 茜、微笑む。 茜「……私もそう思います」 鞠子「どうして、ここに来たんですか」 茜「仕事です」 鞠子「それだけですか? 本当に仕事のためだけにここに来たんですか!?」 驚く茜。 鞠子「……すいません、私……」 茜「……余計なご心配をお掛けして、すいませんでした」 茜、頭を下げる。 茜「確かに、久し振りに先生に会えて嬉しかったです。でもそれだけじゃありません。雅二郎も三郎も、……ばあちゃんにも会えて良かった。そのうえ兄弟全員の奥さんと、拓馬にも会えたし。一瞬、昔の自分に戻ったような気がしました。雅二郎も三郎も、先生も私に変わってないって言うんです。最後に会ってから一〇年経ってるんですよ? そんな訳ないのに。あいつら、自分が変わってないから人もそうだと思い込んでるんですよね。ったく、幸せな連中ですよ」 鞠子「……」 茜「すいません。言い過ぎました」 鞠子「……茜さんも、思い込んでるんじゃないですか」 茜「……」 鞠子「全く変わらない人なんていません。でも、三人ともがあなたに変わってないと言うなら、根本的な部分は変わってないんじゃないでしょうか」 茜、考えている。 鞠子「……すいません、良く知らないのに、こんなこと……」 茜「……いえ……」 鞠子「あの、私、大事だと思います。変わることも、変わらないことも」 茜「……皆さんを呼んで頂けますか」 鞠子「はい」 鞠子、部屋を出て行く。 茜、涙を拭う仕草。 茜「……あ、鼻水出ちゃった」 茜、拭って、マツの布団になすりつける。 マツ「ええ〜……」 青柳、入ってくる。 青柳「どう、終わった?」 茜「ええ」 青柳「じゃあ皆さんを呼んで来るよ」 茜「今、奥様にお願いしました。……青柳さん」 青柳「ん?」 茜、ポケットからメモ用紙を取り出して青柳に渡す。 茜「もう止めましょう。二人で会うの」 青柳「……どうしたんだ、急に」 茜「ずっと我慢してました。奥さんやお嬢さんに遠慮してコソコソ会って、電話もロクに出来ないで。でも、そんな物分りのいい女じゃなかったんです。私、ホントはもっと、ワガママなんです」 青柳「……茜……」 茜「どうか、ご家族を大切にして下さい」 二人無言。 暗転。 ○台所(舞台ツラ) おにぎりを作っている誠子とチカ。チカのおにぎりは巨大。 誠子「ちょっとあなた、ちゃんと手は洗ったんでしょうね」 チカ「それってバカにしすぎー。もう絶対にせこちゃんより美味しいおにぎりつくちゃうからねっ」 誠子「……せこちゃ……」 チカ「ねーえ、せこちゃんは何でそんなにジロちゃんのこと喪主さんにしたかったの? あんなの、誰がやったって大して変わんないし、その分せこちゃんが大変になるんだよ?」 誠子「別にいいわよ、そんなのは」 チカ「そーお? でもジロちゃん本人がその気じゃないんでしょお?」 誠子「慣れてないだけよ」 チカ「誰だってそーでしょー?」 誠子「そうじゃないの」 チカ「……」 チカ、誠子が何か言い出すのを待つが、誠子は黙ったまま。 チカ、誠子の周りをうろついて、あちこちから顔を覗きこむ。 誠子「……言いたいことがあるなら言いなさい」 チカ「何が〈そうじゃない〉の?」 誠子「あなたには関係ないわ」 チカ「なくないよぉ。言えって言ったクセにぃ。知りたい知りたい、知りたーい!(飛び跳ねる)」 誠子「ちょっと止めなさい! 埃が立つでしょう!」 チカ「じゃあ教えて」 誠子「(ため息)……ウチの人、これまでに一度もやったことないのよ。〈委員長〉とか〈班長〉とか、役職って言うのかな。学生時代から勇一郎さんが優秀だったから、その反動で問題ばっかり起こしててね」 チカ「あはは、そんな感じー」 誠子、睨む。とぼけるチカ。 誠子「でもおばあちゃんはあの人のこと見捨てないで、いつも励ましてくれたり、お尻叩いてくれたり……。お陰でやっと今年、あの人、店長になったの」 チカ「へぇ!」 誠子「小さい居酒屋だけどね」 チカ「でもでもすごいじゃーん! それでせこちゃんはジロちゃんにお葬式、仕切らせてあげたかったんだ」 誠子「おばあちゃん、人前に立つあの人なんて見たことなかったから……。それに、喪主をちゃんと務められたらあの人の自信にも……」 チカ、にこにこと誠子を見ている。誠子、気付いて顔を背ける。 チカ「ね、もっかいそれ、みんなに話してみようよ」 誠子「い、いいわよ、もう。勇一郎さんに決まったんだから」 チカ「よくなーい! あたし、話してくる!」 チカ、おにぎりを持ったまま出て行く。 誠子「え、ちょっと、待ちなさいよ。いいって言ってんでしょ、ちょっと!」 暗転。 ○仏間 一同、揃う。(青柳はいない) 茜「では、これより納棺の儀を行います。旅のお支度としまして、足袋と脚絆と手甲をお付けしております。皆様で順番にひと結びして頂いて、お送り頂きます。ではまず、ご長男様、どうぞ」 勇一郎「はい」 茜「では、こちらをお願いします」 茜、足元の布団をめくって紐を示す。 勇一郎、紐を結んで手を合わせる。 勇一郎(N)「ばあちゃん、子供の頃、ばあちゃんの花びん割っちゃってごめんな。でも今でも不思議だよ。軟式テニスボールで花瓶があんなに大破するなんて……」 マツ「ああ……、まだ覚えてたのかい。でもお前がやんちゃすることなんて滅多になかったからねぇ……。あたしこそ、物置に閉じ込めたりしてごめんよ」 勇一郎、下がる。 茜「では奥様、こちらを」 鞠子、紐を結んで手を合わせる。 鞠子(N)「おばあさま、子育てやお料理、全部おばあさまから教えていただきましたね。今後、あの奔放なお義母様(かあさま)とこれからどうやって行ったらいいのか……。拓馬の教育方針も違うし、正直、不安です」 鞠子「ううっ……(泣く)」 勇一郎「鞠子(肩を支える)」 マツ「普段から遠慮しないで言いたいことを言い合えば、きっと上手く行くさ。茜さんに意見を言ったあんたはカッコよかったよ」 鞠子、下がる。 茜「次男様、どうぞ」 雅二郎「お前にそんな呼び方されるとケツが痒くなるぜ」 茜「早くしな」 雅二郎「(不適に笑う)ふん」 雅二郎、紐を結んで手を合わせる。 雅二郎(N)「ばあちゃん、俺、明日頑張るよ。それと、花びん割ったの、実は俺のサッカーボールが原因なんだ。とうとう言えないままで、ごめんな」 マツ「お前だったのかい! (勇一郎に)ごめんね、ごめんねぇ〜」 雅二郎、下がる。 茜「……では奥様、こちらを」 誠子、紐を結んで手を合わせる。 誠子(N)「おばあちゃん、葬儀の最後のご挨拶、雅二郎さんが務めることになりました。見てあげて下さいね」 マツ「楽しみにしてるよ。あと、あんまり蹴らないでおくれね。あたしには可愛い孫なんだから」 三郎「俺はどこやればいいの?」 茜「こちらを」 茜、胸の布団をめくる。 三郎、手甲の結んで手を合わせる。 三郎(N)「ばあちゃん、俺、チカと結婚します。さっきチカの作ったおにぎり食って胃が悲鳴を上げてるけど、きっと幸せになるから、見守っててくれよなっ」 マツ「何が入ってたんだい。……お前のことでこんなに不安になるのは初めてだよ」 茜「では、次の方……」 茜、チカを見る。 チカ「あたしもやっていいの?」 三郎「いいよな、兄貴」 勇一郎、頷く。 茜「お願いします」 チカ「はーいっ」 チカ、手甲を結んで手を合わせる。 チカ(N)「おばあちゃま、初めましてだけどバイバイ。サブちゃんはあたしが幸せにするから、心配いらないからね。チームも、もう抜けます。ってか、あたしがいなくなったらどうせ解散だしね」 マツ「あたしがじっくり鍛えてあげたかったねえ……。あんた、何かスポーツでもしてるのかい? 結婚するからって、チームは辞めなくていいと思うよ」 チカ、下がる。 拓馬「茜、僕は?」 茜「おいで」 拓馬、茜に手伝って貰いながら数珠を付ける。教えられて手を合わせる。 拓馬(N)「ばぁば、明日のおやつはプリンがいいです」 マツ「拓ちゃん、覚えていてね、ばぁばのこと」 拓馬、下がる。 茜「では、これで皆様お済みでしょうか」 勇一郎、頷く。 茜「では皆様、最後にお手合わせをお願い致します。一〇秒間の黙祷でございます」 全員、黙祷。 拓馬だけキョロキョロして、枕元の、マツのメガネをかける。 マツに気付く拓馬。笑顔で手を振る。 マツ、応えて、手を振る。 暗転。 SE:お鈴の音。 |