たまトザ第2回公演
お気に入りの楽園
作・演出 坂本みゆ
(前半)
【CAST】
高根沢春 /
沢谷有梨
小野英子/
佐藤楽
御蔵なつみ・かなえ/
壱智村小真
白田友美 /
木村こてん
樋口芙美子/
田中結子
栗田衛/
斉藤和彦



OP曲。
SE:小雨。

○診療室
中央にソファとテーブル。上手に仕事机。
かなえ、仕事机でカルテをめくっている
英子、少し離れて指示を待つ。

かなえ「白田さん、院内は自由に歩きまわれるようになったみたいね」

英子「ええ。このカウンセリングルームまで1人で来れるようになりました」

かなえ「そうね……、じゃあ少しずつ外に出るようにしましょう。日に1度、散歩させてち ょうだい」

英子「中庭ですか、外周ですか」

かなえ「中庭からにして。いきなり外に出すとパニックを起こすかもしれないから」

英子「分かりました」

かなえ「あと、樋口さんは今日から1本にして」

英子「1本ですか?」

かなえ「1本よ。……何?」

英子「いきなり減らしたら騒ぎになるんじゃないでしょうか」

かなえ「今でもうるさいもの。それなら早く治って貰った方がいいでしょう」

英子「はあ……」

かなえ「あっ、あたしがこんな風に言ってたのは内緒よ」

英子「それは、もう」

かなえ「ありがと、だから好きよ。英子さん」

英子「ありがとうございます」


春、カーテンを開けて入ってくる。


英子「あ、先生! おはようございます(礼)」

春「おはよう」


机の前まで歩いて、止まる。かなえを見る。


かなえ「あら、高根沢先生、ごきげんよう」

春「……ごきげんよう」

かなえ「今朝はどうされたのかしら? いつも30分前にはいらしてるのに、ごゆっくりで すこと」

春「……時間までまだ5分あります」

かなえ「(卓上時計を手に取って)4分28秒だわ。27、26、25……」

春「(かなえから時計を取り上げ、元に戻す)とにかく、まだ約束の時間じゃありませ ん。それ、返して下さい」

かなえ「どれ?」

春「その白衣は、私のです」

かなえ「ああ。(脱ごうとするが、また着る)……ね、今日1日貸しててくれない? 替えく らいあるんでしょう?」

春「嫌です」

かなえ「替えはないの?」

春「あります。ありますけど、嫌です。と言うか、ダメです」

かなえ「どうして?」

春「錯誤の可能性があるからです。お見舞いに来られたご家族があなたを医者だと思 うかもしれないでしょう」

かなえ「間違えられてみたいんだけど」

春「そういう訳にはいきません(かなえの白衣を脱がせる)」

かなえ「え、ちょっと、きゃっ(尻餅をつく)! ちょっと、あんまりなんじゃないの?」


英子、かなえを立たせる。


かなえ「ありがと。ねえ英子さん、私にも白衣を1着、用意してくれない」

春「かなえさん」

かなえ「自分用専用のが欲しいのよ。いっつも借りるのは気が引けるわ。あたしだって 少しは悪いと思ってるのよ」

春「ダメだと言ったでしょう」

かなえ「いいじゃない、遊びなんだから。お金は払うわよ」

春「そういうことを言ってるんじゃありません。私や小野さんはこうしたあなたの『ごっこ』 遊びに付き合うことが出来るけど、このカウンセリングルーム以外では許可出来ませ ん。来院者が混乱するし、ここの信用にも係わりますから」

かなえ「ふーん、頭のおかしい患者は病室に閉じこもってじっとしてろってこと?」

英子「かなえさん」

春「私はあなたの頭がおかしいとは思ってません」

かなえ「でもうちの両親はそう思ってないわ。だからあたしをここに入れたんだもの」

春「ここは休息が必要と判断された人たちが、心を休めるために療養する場所です。 皆さんやがては退院されます。決して頭のおかしい人を隔離するところではありませ ん。ご両親も、あなたに休息が必要だとお考えになったから、ここにあなたを連れて来 たんです」

かなえ「随分庇うわね。寄付金でも積まれたの」

春「……(席に着き、書類を広げる)」

かなえ「それとも2人分の入院費をせしめたってところかしら。なつみの分にプラスし て、あたしのも貰ったんでしょ」

英子「頂いたのは1名分、通常の費用だけですよ」

かなえ「もう、英子さんは黙ってて。どっちの味方なのよう」

英子「それはもちろん、先生です」

かなえ「ええ〜」


タイマーが鳴る


英子「先生、お時間です」

春「(安堵のため息)……では、そちらにどうぞ」

かなえ「あーあ、つまんないの。英子さん、また遊びましょうね。あ、さっき言った処方は ちゃんとしてね」


英子、会釈。
かなえ、ソファに座る。


春「小野さん、しなくていいわよ」

かなえ「聞いてたの?」

春「いいえ。でもきっと、しなくていいことでしょう?」

英子「分かりました」

かなえ「ヤなチームワーク」

春「(ソファに座る)今日はどちらにしますか? かなえさん? なつみさん?」

かなえ「なつみが先生に話を聞いて欲しいって言ってたわ。眠れないんですって。どう せあたしの悪口だと思うけど。ね、最近なつみはどんなことを相談してるの」

春「守秘義務を行使します。なつみさん、どうぞ」

かなえ「……じゃ、先生、英子さん、またね」


かなえ、ソファの背もたれに倒れる。
静かな音楽が流れる。
ゆっくりと起き上がると、「かなえ」は「なつみ」になっている。診療室を見回す。


春「……なつみさん?」


なつみ、怯えた様子で頷く。


春「おはようございます。気分は悪くないですか」

なつみ「……(頷く)」

春「小野さん、始めます」


英子、礼をして出て行く。


春「夜、眠れないんですって?」

なつみ「……」

春「話したくなかったら無理にとはいいませんけど……持ち時間は1時間です。いいで すね? ……(カルテをめくりながら待つ)」

なつみ「……あの」


春、顔を上げる。


なつみ「……また、人を……殺しました」

春「……」

なつみ「……50代くらいの男の人。……踏切が、鳴ってたの。男の人がそこで立ち止ま ってた。その人、酔ってて……。すごく楽しそうだったの。それを見てたら、何か、何て 言うか……。割とね、いい、形だったの。あ、頭よ。丸くて……。その人、車の油が付い た汚いジャンパー着てて。そう、汚かったの。それが、嫌で、だから私、持ってたハンマ ーで……」

春「どうしてハンマーを持ってたの」

なつみ「分からない。持ってたの。いけない?」

春「続けて」

なつみ「後ろから殴ったわ。その時、周りに誰もいなかったんだもの。だって、殴るでし ょう?」

春「落ち着いて。それから?」

なつみ「殴って……。倒れたから線路の上に置いて。遮断機の鳴る音が聴こえた。そ こから気が遠くなって……気付いたらベッドの中だった」

春「ハンマーは?」

なつみ「……(首を横に振る)」

春「その男性は、面識のない人ね?」

なつみ「ないわよ! 知ってたら殴ったりしないもの。私はここの誰も殴ったことなんて ない! そうでしょう?」

春「そうね」

なつみ「……先生」

春「はい?」

なつみ「あ、いえ……」

春「どうしたの? 話して」

なつみ「……あの、私、思うんだけど、……かなえが……やってるんじゃないかしら」

春「かなえさんが?」

なつみ「だっておかしいわよ。これまでもそうだけど、殺した事は覚えてるのに、それ以 外のことを何も覚えてないんだもの。いくら思い出そうとしても布団に入って、その後は 踏み切りの前なの。いつ出かけていつ帰って来たのか、全く覚えてないの。だからきっ とかなえが夜に抜け出して、途中で私に変わって……」

春「でもね、なつみさん……かなえさんでもいいわ。どちらにしてもあなたがここから夜 中に抜け出したなんて記録はないの。夜、小野さんが巡回した時にはあなたはベッドで 寝ていたって言ってるわ。外に出ていないのに、人は殺せないでしょう?」

なつみ「でも」

春「それにあなたの体は本来あなただけのものよ。あなたがかなえさんと変わろうとし ないと、彼女の意思で強引に表に出ては来れない。そうでしょう? 様子も特に変わっ たところはないし……。ね、今朝も目が覚めたらベッドにいたんでしょう? それも、今 までのことも、やっぱり夢なんじゃないかしら?」

なつみ「すごく細かいことまで覚えてるわ。夢だなんて思えない」

春「そうね、なつみさんの話はいつもとても具体的で私も驚かされることが多いけど… …。これで何人目?」


なつみ、指折り数える。


なつみ「6、いいえ、7人……」

春「もう、そんなになるの」

なつみ「先生は現実にそんな事件は起きてないって言いましたよね」

春「ええ」

なつみ「じゃあ新聞を見せて下さい」

春「……」

なつみ「今朝の新聞を見せて下さい」

春「……いいわよ」


春、机の上の新聞をなつみに渡す。
なつみ、夢中でページをめくる。何度も往復して記事を確認する。
春を見る。頷いてみせる春。
テーブルに新聞を畳んで置く。


春「ねえ、なつみさん。……あなたが夢の中で殺害した人は全て中年の男性だわ。あ なたのお父様と同じくらいよね。つまり、お父様に対する嫌悪感の強さがあなたにそん な夢を見せるんじゃないかしら」

なつみ「じゃあこれからも見続けるの? 夢でも嫌よ!」


春、席を立つ。かなえの前に跪く。


春「落ち着いて。夢はなつみさんの意思で変えることが出来るわ。あなたが楽になるた めにここで治療をしているの。ここにはあなたの敵はいないわ。まず、自分が受け入れ られていることを知って頂戴」

なつみ「先生……」

春「もちろん私も味方よ。かなえさんに入れ替わらなくても、あなた自身がもっと自由に 振舞えるように、少しずつ慣れて行きましょうね」

なつみ「……はい」


芙美子、診療室に入ってくる。


芙美子「あっら、先生、おっはようございま〜っす。今日はお早いこと」

春「……ご機嫌ですね、樋口さん」

芙美子「まぁね〜。ま、なつみちゃん、ご機嫌よう」


そっぽをむくなつみ。芙美子、なつみの隣に座る。
英子が診療室に入ってくる。


英子「ちょっと芙美子さん、ダメですよ、まだ時間じゃないんですから」

芙美子「もう終わるんでしょう? あーあ、ここまで躍りながら来たから疲れちゃった。 汗かいちゃうわ」

英子「踊るからですよ」

芙美子「疲れないように、ちゃんと小躍りにしたんだけど」

英子「小さくなかったですよ。回りながら歩くから、壁に5回もぶつかったじゃないです か」

芙美子「そうだったかしら?」

春「大丈夫だったの?」

芙美子「やだ、先生。ええもうこの通り、ピンピンしてますよぅ」

春「……壁の心配したんだけど」

英子「先生。……とにかく、芙美子さん、1度出て下さい(芙美子を立たせようとする)」

芙美子「いた、痛いわよ、乱暴しないで。いーじゃないのぉ、ねえ、なつみちゃん、おば さんいたら邪魔?」


なつみ、「かなえ」に入れ替わっている。


かなえ「……おばさん、また飲んでるでしょう! 英子さん、だから言ったじゃない、1本 に減らしてって」

英子「高根沢先生は処方するなとおっしゃいましたからね」

かなえ「あーあ、春ちゃんのせいよ」

芙美子「なんだ、かなえの方なの? さっきまでなつみちゃんだったのに。あんたのこと は呼んでないわよ」

かなえ「なつみに引っ張り出されたのよ。都合が悪くなるとすぐあたしを呼ぶんだもの。 人使いが荒いったら。さっきまで春ちゃん独り占めしてたクセに」

春「かなえさん、その呼び方は止めて下さい」

かなえ「いいじゃない、可愛いわよ」

春「可愛い必要ありません」

芙美子「ちょっとぉ、何よぉ、2人で楽しそうにしちゃって〜」

かなえ「あたしの持ち時間だもの。今、春ちゃんの独占権はあたしにあるの、当然でし ょ」

芙美子「でも次はあたしの順番よぉ」

かなえ「春ちゃんが呼ぶまで外のソファに座ってなさいよ。ああもう、近付かないで、お 酒臭い! 英子さん、外に連れてって」

芙美子「大げさね、あんたって子は」

春「樋口さん、朝から飲みすぎですよ。1日1本以内に収める約束でしたよね」

芙美子「ああん、そんな硬い話は止め止め! 昨日ねぇ、娘の大学入試の合格発表 があったのよぉ」

英子「そうなんですか、それはおめでとうございます」

春「よかったですね」


芙美子、ソファに乱暴に座り、高笑い。


英子「……ふ、芙美子さん?」

春「どうされました?」

芙美子「だぁってぇ、これが笑わずにいられますかって。『おめでとうございます』ぅ?  (高笑い)……ったく、これだから人の親になったことのない人たちってイヤーねぇー。 母親の気持ちなんてこれっぽっちも分かってないんだから。落ちたのよぉ、ものの見事 に落っこちちゃったの! 飲まずにはいられない気分なのよぉ。それなのに、おめで、 おめでとう、おめでとうって! ……ふざけんじゃないよ! (全員・驚く)……あの子が 毎日どれだけ頑張ってたか知りもしないでさあ、あんなに頑張って勉強してたのに、何 であの子が……分かっちゃいないんだよ、お偉い大学教授ってやつらは……(泣き出 す)」


全員、困った様子。
英子、芙美子の肩に手を掛ける。


英子「芙美子さん、泣かないで」

芙美子「あの子、頑張ってたんだよ。あたしがこんなだから旦那の食事の支度も洗濯 も全部やってくれて、なのに塾も通わせてやれなくて……。ウチはあたしの入院費が精 一杯で……」

かなえ「なにそれ、結局おばさんが悪いんじゃないの」

英子「かなえさん」

芙美子「……先生、やっぱりあたしのせいなのかね、あの子が落ちたのは」

春「樋口さん、そんな風に考えるのは止めましょう」

芙美子「あたしがこんなでも、あの子はちっともあたしを責めなくてね。『ちゃんと直して 帰ってきてね』って、笑顔で見送ってくれたんだ。成績もクラスで1番で……」

なつみ「母親がだらしないと、子供はしっかりするものよ。ウチみたいにね」

春「かなえさん!」

かなえ「……何よ」


タイマーのベル音。


春「時間です。部屋に戻って」

かなえ「……」

春「かなえさん」

かなえ「いい気なもんね」

英子「かなえさん、戻りましょう」

かなえ「自分は毎日お酒ばっか飲んで散々迷惑掛けてるクセに、今更泣いたって遅い わよ。その子だってきっとあなたを恨んでるわ。きっと『もう帰ってこなければいいのに』 って思ってるわよ!」

芙美子「あああ……!!(泣き崩れる)」


春、芙美子に駆け寄る。


春「小野さん、かなえさんを部屋から出して!」

かなえ「あんたが悪いのよ! あんたさえいなければその子も旦那さんも幸せになれた のよ!」

英子「かなえさん、いらっしゃい!」

かなえ「放してよ! こんな女、母親なんかじゃないわ!」


かなえ、英子に引っ張り出される。


春「樋口さん、かなえさんの言ったことは気にしないで。試験の結果はあなたのせいで も、もちろん娘さんのせいでもないわ」

芙美子「分かってるよ、あたしがこんなに飲まなきゃ、ちゃんとした母親でいればみんな 上手く行ってたんだろうよ。でも、でもね、先生」

春「樋口さん、体を楽にして。顔を下に向けちゃダメ。斜め上か、せめて正面を見て頂 戴。そう、ゆっくり息を吐いて……」

芙美子「……どうして止められないのかねえ……。先生の言うこと、頭では分かってる んだよ」

春「我慢できなくなって飲むと、落ち着きますか?」

芙美子「いや。……飲まないと落ち着かないんだ。でも……飲んだからって落ち着く訳 じゃないね」

春「なら、飲まない方向で調整していきましょう」

芙美子「ああ……」

春「ご主人も喜んでいらっしゃいましたよ。随分顔色が良くなったって。また面会に来る っておっしゃってたでしょう?」

芙美子「あの人なりに悪いと思ってくれてるんだろうねえ。先生が説教してくれたんだろ う? ヘンな感じだったよ、妙に優しくてさ」

春「元々優しい方だったんじゃないですか?」

芙美子「そうだねえ……。だからよその女にも優しくしちまったんだろうよ」

春「その件は終わったそうですから、信じてあげましょう」

芙美子「信じる……」

春「ええ」

芙美子「何て難しいんだろう……」


暗転。

春、肘掛け椅子にもたれてため息。
英子、コーヒーを持ってくる。


英子「お疲れ様でした」

春「ああ、ありがとう」

英子「樋口さん、落ち着かれましたか」

春「まあね。……かなえさんの言ったことが大分薬になったみたい。今がチャンスかも しれないから、制限を3日に1本に減らしました。そのつもりでお願いね」

英子「3日に1本……ですか? でも、そんなにいきなり減らしたら……」

春「だってうるさいんだもの。1日でも早く治って貰った方がいいでしょう」

英子「は」

春「あ、今のは内緒よ」

英子「(笑いを堪えている)……」

春「どうしたの?」

英子「いえ、さっきかなえさんが同じことを」

春「……」

英子「ああ、もうすぐお昼ですね。私、配膳の手伝いがありますので」

春「もう?」

英子「……」

春「……いいけど、別に」

英子「お疲れのようですね」

春「まあね」

英子、ドアの方へ。


春「小野さん?」

英子「プレート出しておきました。高根沢先生は今、外出中です」


英子、春をソファに促す。
春、ソファで横になる。


英子「先生、たまには1日、ゆっくり休んではいかがですか? 倒れてからじゃ遅いんで すよ」

春「そんなの無理だって分かってるでしょう」

英子「急に倒れられて長期入院されるよりマシです」

春「倒れたりしないわよ」

英子「そりゃあ、『倒れるわよ』って自信満々で言われたくはないですけどね」

春「ああ、新聞、ありがとう。助かったわ」

英子「見せました?」

春「ええ。気付かれたらどうしようかとヒヤヒヤしたけど」

英子「きっと記事にしか目が行かないと思いましたから。3日前の物だなんて思ってもい ないでしょう。でも、これ以上被害者が増えるともっと大きく報道されるかもしれません。 テレビは院内に置いていないからいいですけど、新聞や雑誌はごまかすのが難しくなり ますね。週刊誌でもただの事故ではなく、連続殺人じゃないかと疑っている記事もあり ました」

春「……でも、彼女は全ての事件の日、外に出ていないのよね」

英子「ええ。私が当直の日でしたから。御蔵なつみ及び御蔵かなえはベッドを空けるこ とはありませんでした」

春「……じゃあどうして彼女の言ったとおりの事件が起きているのかしら」

英子「……さあ、私には……。どうしても気になるのなら警察に連絡しますけど」

春「もう少し様子を見ましょう。警察にここを掻き回されるのはごめんです。……それ に」

英子「それに?」

春「分からないでもないわ。殺したくなる気持ちも」

英子「先生。医師にあるまじき発言ですよ」

春「あなたしか聞いてないわ」

英子「……」

春「どうして男はみんなバカなのかしら」

英子「……それ、前にもおっしゃってましたね。どうして先生は男性を毛嫌いするんです か」

春「……言ったでしょう。バカだからよ」

英子「先生の周りはそうだったんですか」

春「あなたの周りはそうじゃなかったの」

英子「私はずっと、女子高でしたから。それに私はどちらかと言うと……」

春「ああ……、あなたは学生の頃イジメを受けてたんだったわね」

英子「ええ。むしろ女性の方が苦手です」

春「でも、かばってくれた親友がいたんでしょう?」

英子「はい、1人だけ。でも彼女は卒業前に転校してしまって、今はどこにいるのか… …」

春「きっと会えるわ」

英子「ありがとうございます。先生の周りのバカな男の人って、例えばどんな方です か?」

春「……何も考えてなくて、すぐ大声出して、殴ればこっちが言うこと聞くと思ってて…… 大嫌いよ。私と母はいつも怯えてたわ。父がいつ暴れ出すか分からなかったから」

英子「先生のご両親、もう亡くなっていらっしゃるんですよね」

春「私が9歳のときに、車の事故でね。ただ、今でも思うの。本当に事故だったのかっ て」

英子「どういうことですか」

春「2人で出掛けるって言うから、母に『私も連れてって』って言ったの。でも、母は来る なって」

英子「まさか……」

春「今でもたまに夢に見るわ。母はとても悲しい目をしてた。警察は事故で処理したけ ど、きっと……」

英子「少しお休みになって下さい。次のカウンセリングは夕方ですから」

春「小野さん」

英子「はい」

春「……いやな話をしてごめんなさい」

英子「私でよろしければ」

春「……ありがとう……(眠る)」


SE:雨


英子「(カルテをめくっていて)あの、先生……」

春「……(寝ている)」

英子「先生?」


英子、春に近付く。寝ているのを確認。
愛しげに髪を撫でる。
暗転。

雨の音、激しくなる。
やがて鳥の声。

机に向かっている春。
ノックの音がする。


春「はい、どうぞ」

衛「失礼します」


部屋に入る衛。


春「はい? (驚いた様子)!」

衛「あの、高根沢先生ですか?」

春「ちょっ……、どこから入ってきたんですか!?」

衛「どこからって(ドアを指差す)」

春「ここは男子禁制です!」

衛「ああ、そうなんですか。それは知りませんでした。ところでですね」(歩み寄る)

春「ストップ! 止まりなさい!」

衛「は?」

春「もう少し下がって(衛、1歩下がる)、もう少し(衛、下がるが春は更に出口へ促す。 とうとう外へ出される)……そう、その辺でどうぞ。(呼吸を整え、落ち着く)私が高根沢 です、ご用件は?」

衛「(幕の向こう側から)あの、私、栗田衛と申します。こちらに入院している白田友美さ んの同僚なんですが……、(顔を出す)あの」

春「はい?」

衛「話しづらいんですけど」

春「私は気になりません。それより、同僚とおっしゃいましたね? こちらではご家族以 外の男性には面会は許可していませんが」

衛「あ、そうなんですか。ええと、じゃあ、兄です」

春「……遅いでしょう」

衛「じゃあ、父で」

春「無理です」

衛「ええ? (照れながら)え、だってまさかそんな。いや、年はそんなに変わらないんで すけど、でもさすがに弟なんて言ったら、僕もそこまであつかましくは……」

春「同僚の方なんでしょう?」

衛「ええ、まあ」

春「……なら、それで結構です」

衛「それはよかった。あ、白田さんは病室の前に面会謝絶の札が掛かってたから面会 してませんよ。先生にお話が聞きたくて伺ったんです。あれ、もしかして、先生と面会す るには先生の親族にならなきゃいけないんですか? いやぁ、幸い僕は独身ですけれ ども……」

春「ご用件は」

衛「ああ、あの、白田先生、いつ頃退院出来るのかと思いまして」

春「病室から出始めたばかりですから、当分無理です」

衛「当分って?」

春「メドが立っていないという意味です。ケガとは違いますから、はっきりいつとは申し 上げられません」

衛「はー、なるほど……」(室内に入る)

春「そこにいて下さいと言ったでしょう!」

衛「まあまあ、そう目くじら立てないで。お茶を出せなんて言いませんから」


英子、入ってくる。


英子「先生、そろそろ午後の……」

衛「あ、お邪魔してます」

英子「ど、どちら様ですか?」

春「白田さんの同僚の方ですって」

衛「ちょっと先生とお話をさせて頂こうかと」

英子「困ります、ここは……」

衛「男子禁制だそうですね、それはもう先生から。まあ、それは置いといて」

春「そちらにどうぞ」

英子「先生!」


衛、ソファに座る。
英子、春に駆け寄る。


英子「よろしいんですか?」

春「言って大人しく聞く相手じゃなさそうなの。さっさと話をして、帰って貰った方が早そ うだから」

衛「あのう、先生?」

英子「(衛に向き直る)先生、こちらはお客様ですか?」

春「いいえ」

英子「では、お茶は……」

春「不要です」

衛「先生」

春「お茶は要らないとおっしゃいました」

衛「まあ言いましたけど、でもそれは社交辞令って言うか……」

春「小野さん、前に」


英子、春と衛の間のソファに座る。


衛「……あの……」

春「なんでしょう」

衛「これ、会話の体勢じゃないですよね。(体を左右に動かしながら)先生が、よく、見え ないんですけど」

春「声が届けば十分でしょう。直視する必要はありません」

衛「……ああ、先生、男性が苦手なんですか」

春「いいえ」

衛「それにしちゃあ……」

英子「苦手ではなく、お嫌いなんです」

衛「それ、同じことなんじゃあ……」

英子「お嫌いなんです」

衛「そう……ですか。あの……窓は開けないんですか。今日はいい天気ですよ」

英子「患者さんが衝動で行動しないためです」

衛「あ、なるほど。だったらカウンセリングルームを1階にすればよかったんじゃあ…… (英子に睨まれる)あ、いえ、何でも。はあー……いろいろ大変なんですねえ」


友美、入ってくる。喪服を着ている


友美「失礼します。英子さん、いらっしゃいますか……。栗田先生……?」

衛「あ、白田先生、ご無沙汰して、ま……す(友美の服装をじろじろ見る)」

友美「どう……されたんですか」

衛「先生こそ、その格好」

友美「……」

英子「友美さん、私にご用でしたか?」

友美「あ、ええ、私の隣の部屋の方が……」

英子「樋口さんですか?」

友美「分かりません、左の方。あ、私がベッドに寝ていると考えて、左です」

英子「樋口さんておっしゃるんですよ」

友美「そうですか。じゃあ、その、樋口さん」

英子「どうしました?」

友美「ちょっと、うるさいんです。ちょっとなんですけど、ご機嫌なのか怒っているのかも よく分からなくて」

英子「どうしたのかしら。朝挨拶した時には落ち着いてたんですけど……」

友美「それは知りませんけど。でも、ガラスの割れる音が聴こえました。あ、部屋のガラ スとか大きなものじゃなくて、グラスみたいな、そういう感じの音でした」

春「分かりました。様子を見に行きます(立ち上がる)」

英子「先生、私が行きます。友美さん、こちらにどうぞ」

春「いえ、私が……」

英子「先生はこちらにいらして下さい。さ、友美さん」

友美「でも、私は……」

英子「ここに座って頂くだけで構いませんから」

友美「は?」


友美をソファに座らせる。


英子「それでは私は失礼します」


英子、出て行く。
三人、気まずい。


春「そちらの方」

衛「栗田と申します」

春「……栗田さんは結局、用事があるのは私ですか? それとも白田さん?」

衛「えーと、どちらでもいいんですけど……」

春「では、白田さんとどうぞ。私は仕事をしますので話し掛けないように」

友美「先生、私は……」

春「大丈夫、話したくなければ話さなくていいわ。その人、喋りたいみたいだから喋らせ てあげなさい」

衛「いや、僕はただ我(わが)が勝手に喋りたいのではなく、会話を……」

春「私には話し掛けないように!」

衛「ええ?」


春、耳栓を取り出してつける。


友美「栗田先生、何の……ご用でしょうか」

衛「え」

友美「先生にご迷惑を掛けないで下さい」

衛「あ、はい。あの……、卒業式、もう来月ですけど、どうするのかと思って」

友美「卒業式……?」

衛「生徒達も先生が戻ってくるのを待ってます」

友美「欠席します」

衛「先生」

友美「行ける訳ないじゃないですか、私なんかが」

衛「まだ、橘のことを引き摺ってるんですね。でも、あいつのことは先生のせいじゃ… …」

友美「私のせいです。私のせいで、橘君は自殺したんです。私がイジメにちゃんと対処 していればあんなことには……」

衛「白田先生!(春を気にする素振り)」

友美「あ、多分、高根沢先生には聞こえてないと思います」

衛「へっ?」

友美「年がら年中着たきりスズメで三十路(みそじ)手前の無愛想女」

衛「ええっ!?(ソファから落ちそうになって、しがみつく)」

友美「ほら、平気でしょう?」

衛「そ、そうみたい……ですけど……」

友美「さっき、耳栓してましたから」

衛「あ、そうですか……。目、いいんですね」

友美「そうでもないんですけど、目ざといって言うか、あ、私、動体視力がすごくいいん です。中学の頃卓球部に入ってて、県大会で7位だったんです」

衛「へえ、それは……あ、7位……」

友美「……すいません……」

衛「あ、いや、すごいです。だって県で7番目ってことですもんね。世界の卓球人口を考 えたら大したもんですよ。いや、すごいなあ」

友美「無理なさらないで下さい。すいません、関係のないお話をしてしまって。あの、卒 業式には、出ません」

衛「……先生は橘の話を熱心に聞いてあげてたじゃないですか。彼は先生のことを恨 んだりしてませんよ」

友美「それは分かってます。橘君は、優しい、とってもいい子でした。人を恨んだり出来 なくて、イジメられても自分がはっきり言えないのが悪いんだって、自分を責めるよう な、そんな子でした。だから私は、せめて私だけは橘君の話を聞いてあげたかったん です」

衛「ええ、先生はその通りにしてましたよ」

友美「でも、そんなのは私の自己満足だったんです。私が先生らしいことしたかっただ けで、橘君は私みたいな出来損ないの新人教師と話すよりも、たくさんの友達が欲し かったんです。学校の外で、一緒に公園でサッカーをする友達を作ってあげるべきだっ たんです。まだ11歳だったんですよ、それなのに……」

衛「先生……」

友美「先生は、橘君のマンションに行きましたか」

衛「いえ。お葬式は市の集会所だったので」

友美「橘君の家は22階なんです」

衛「ええ、あの27階建ての高層マンションですよね。僕も一度でいいから2階以上の部 屋に住んでみたいなあって……」

友美「私、家庭訪問で何度か伺ったことがあるんです。初めて伺った時、ベランダから 外を見せて貰いました」

衛「家庭訪問に行ったんですよね?」

友美「あ、お母様が帰っていらっしゃらなくて、少し待たされたんです。だから橘君にお 願いして……。別にサボっていたんじゃなく、家庭訪問はお母様が帰って来てからちゃ んと……」

衛「あ、分かってますよ。冗談ですよ」

友美「……すいません」

衛「いや、どうぞ、お気になさらず。それで?」

友美「素晴らしい景色でした。障害物が何もなくて、天気が良かったので富士山が綺麗 に見えました。橘君は……私の隣で、じっと下を見てました」

衛「下を?」

友美「私は怖くて見れなかったんです。でも橘君は見ていました。その時からきっと… …」

衛「……」

友美「あんな高い所から飛び降りるなんて、どれだけ怖かったか。それなのに、私は何 も気付いてなかったんです」

衛「……」

友美「……帰って下さい」

衛「え」

友美「学校には近いうちに辞表を提出します」

衛「白田先生、待って下さい」

友美「私は教師になるべきではなかったんです」

衛「そうしてずっと、喪に服すおつもりですか。それで何か償えるとお思いですか」

友美「……」

衛「ここで先生がどんな気持ちで過ごそうと、橘は帰って来ません。ましてや黒い服を 着続けたところで、何も変わらないじゃないですか。それも先生の自己満足ではないん ですか」

友美「でも、私は……」

衛「先生が彼に何か出来るとしたら、同じ過ちを繰り返さないことじゃないんですか。そ れとも先生のクラスの残りの35名はどうなってもいいんですか」

友美「良くは、ないです……」

衛「だったら」

友美「今は、教壇には立てません。怖いんです、みんなの目が、どうしようもなく怖いん です」

衛「……」

友美「……失礼します」


友美、席を立つ。


衛「先生、僕、また来ますから」

友美「もう……来ないで下さい」


友美、出て行く。
衛、ソファで脱力。春の方を見る。


衛「先生」

春「……(気付かない)」

衛「(一歩近付く)……先生」

春「……」

衛「(至近距離で)高根沢先生」

春「!!(驚いてペンを振り上げる)」

衛「ちょ、ちょっと待って下さいよ!」

春「……ああ。驚かさないで下さい」

衛「……それ、僕が言いたいです」


英子、診療室に入ってくる。


英子「先生、……どうかしましたか!」

春「いえ、別に。急にこの人が近くにいたから慌てただけです。……白田さんは?」

衛「出て行きましたよ」

春「お話は終わりましたか」

衛「正確には終わってないんですけど、断ち切られました」

春「では、お帰り下さい」

衛「先生」

春「もうここには立ち入らないようお願いします。それがここの方針ですから」

衛「先生、もうすぐウチの学校の卒業式があるんです。白田先生のクラスの生徒も先 生が出てくるのを待ってます。出席するように説得して頂けないでしょうか」

春「それは難しいでしょうね」

衛「そんな……」

春「今、生徒たちが待っている、と言いましたね」

衛「え、ええ……」

春「嘘でしょう?」

衛「ほ、本当ですよ。あ、生徒達から先生に手紙を預かってるんです。(鞄から、封筒を 出す)これ、高根沢先生から先生に渡して下さい」

春「……(中を見る)」

衛「あ、先生、これは手紙なので僕も見ないようにしているんです。だから生徒にも素 直な気持ちを書くようにと……」

春「これは授業で書いたものですね?」

衛「ええ、ホームルームの時間を使わせて貰って皆で……」

春「お持ち帰り下さい」

衛「ええっ?」

春「こんな強制的に書かされた作文、白田さんに渡せません」

衛「強制って、そんな。白田先生のことを思って書いた生徒だって……」

春「白田さんがここに入院されてから2ヵ月になります。教頭先生からはお電話を頂き ましたが、生徒さんからの問合せは一切ありません」

衛「それは……」

春「そういうことでしょう。授業でなく、自由課題にしていたら何人が書いてきたでしょう ね。ああ、最近の子供は内申点と言うものを知っていますから、無理やりにでも書いた かもしれませんが」

衛「でも、間に学芸会や実力テストもあったし、最近は私立中学を受ける生徒が多くて ……」

春「そんな風に、教えるべき先生が逃げ道ばかり探すようでは生徒がそうなっても仕方 がないですね」

衛「……すいません。気をつけます」

春「そうなさった方がよろしいかと」

衛「では、失礼します」

春「ご苦労様でした」

衛「また来ます」

春「……もう来ないで下さいと申しました」

衛「また来ます。少なくとも僕は、白田先生に出席して欲しいと思っています。見舞いも 僕の意思で来ました」

春「ご家族以外の面会はお断りしています」

衛「じゃあ、先生に会いに来ますよ」


テーブルに封筒を置く。


春「あの」

衛「お邪魔しました」


衛、出て行く。
封筒を取り上げる英子。


英子「どうされますか?」

春「落し物は、警察に届けるとその落し物の5分から2割の報酬が貰えるわ」

英子「届けますか?」

春「……貰っても私にはどうしようもないわね」

英子「では、友美さんに届けます」


暗転。
                   


後半へGO!


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