朗読の会クレパス
「Life Vol.5〜LOVE〜」
≪リリー・ベル≫
(本来のタイトルは「リリー・ベルのために」)
 作・坂本みゆ
【CAST】
弁 護 士 / 渡部荘一郎
鳩ヶ崎メグミ/ 小清水泉
ハ ル エ / 神山典子






 僕は言いようの無い不気味さと向かい合っていた。
 ガラス越しの女性は何がおかしいんだか、さっきからずっと笑っている。
 つい10日前のことを覚えてないと言いながら、約40年前、母親が男を作って家を飛び 出してからの転落人生は事細かに覚えているようで、同じ話をもう何度も聞かされてい る。口を挟む間もなくまくし立てられ、おかげで貴重な面会時間は残り時間10分を切っ た。今日も無駄足になるのか。
 ため息をつきながらメモ用のレポート用紙にボールペンで螺旋を描いた。不快を示し たつもりだが、それを見て彼女はまた、からからと笑う。


「あの、何かおかしいですか、僕」


 不機嫌を隠さない僕を、彼女は頬杖を付いて上目遣いに見た。


「だって面白いじゃない。あたし、弁護士さんって、もっとどっしりしたオッサンばっかり だと思ってたの。それが、こぉんなボクちゃんが来るなんてねぇ」

「馬鹿にしないで下さい。未熟な点は多々ありますが、僕だって資格を持った、れっきと した弁護士です。あなたの利益のために全力を尽くそうと、ここに来てるんです。だか ら、本当のことを話して下さい」

「本当、ねぇ……」


 くっ、と、口元になまめかしい笑みが浮かんだ。
 彼女は僕が担当することになった殺人事件の被疑者・鳩ヶ崎メグミ。43歳、独身。
 新宿の雑居ビルにあるスナック『リリー・ベル』の経営者だ。
 殺されたのは、常連客の野崎。現場は店の中だった。鳩ヶ崎メグミは犯行直後に自 首。警察に電話をした店の受話器と、握られていた包丁にはべっとりと野崎の血が付 着していたそうだ。
 彼女の身柄は既に警察から拘置所に移されている。勾留されてから6日が経ち、僕 は国選弁護人として彼女を担当することになったのだが、こうして面会に来てもはぐら かされるばかり。彼女の犯行には説明の付かないことがたくさんあるのに、真相に近 づく気配も無い。今日も同じ質問を投げかけてみる。


「……どうして殺したんですか?」

「何度言わせるのよ。店の花瓶で殴って、その後にお腹刺したの。包丁で。知ってるで しょう?」


 そう。野崎は鈍器で後頭部を殴られたうえに包丁で腹を滅多刺し。即死だった。


「僕が言ってるのは方法ではなく、動機です。花瓶で殴った時点で、野崎さんは亡くなっ ていた可能性が高いとの検死結果が出ています。なのにあなたは、何故更に刺したり したんですか」

「……必要だったからよ」

「え?」


 一瞬声が低くなったが、顔を上げたメグミさんはまた明るい笑顔に戻っていた。


「だって聞いてよ。あいつ、毎日フラフラしてて全然仕事探そうとしないんだもの。あたし の財布からちょろっとくすねてはパチンコ行くし、店にツケだってあるのよ? もう、付き 合ってらんない。やんなっちゃったのよ」


 『やんなっちゃった』。
 初めての面会でも同じことを言っていた。でも、僕が他の常連客に聞き込みをしたと ころ、野崎は開店当時からの常連で、二人の仲は極めて良かったと口を揃えて言う。
 現に目の前で野崎を罵る言葉を聞いても、出来の悪い子供を叱る母親のようで、そ れが殺人の動機になるほど恨んでいたようには見えない。


「……鳩ヶ崎さん」

「メグミ」

「は?」

「メグミでいいわよ。ボクちゃんハンサムだから、特別にメグちゃんって呼ばせてあげて もいいわよ?」


 その申し出は丁重に断りを入れて、僕は質問を続けた。


「……メグミさん」

「は・あ・い?」

「野崎さんとあの夜、何があったか話して下さい。『やんなっちゃった』じゃ、僕としても 書面の書きようがありません」

「いいわよ、書かなくても。前から言ってるじゃない。あたし、死刑でいいの」


 これも、もう何度も聞いた言葉だ。メグミさんはどうしてか、動機を話そうとしない。
 検察側は犯行の残虐さから12年の実刑を求刑して来たが、僕はせめて情状酌量さ れるよう、精一杯の努力をしようと思っている。しかし、当のメグミさんは、非協力的 だ。これでは僕も手の打ちようがない。
 係員が面会の終了を告げに来た。僕は仕方なく、落書きだけされたレポート用紙を 鞄にしまう。


「ねぇ、あたしが捕まった時に預けた荷物って、いつ返して貰えるの?」


 ふいに、そんなことを聞かれた。逮捕時に手荷物はすべて預かる決まりになってい て、メグミさんも同様に没収されていた。


「裁判が無罪で終わって、釈放されたら返却されますよ」

「有罪だったら?」

「そのまま刑務所に移送されて、服役が終わるまで刑務所での預かりになりますが、何 か大切な物でも?」

「……バックの中に財布入ってるのよね。お巡りさんが抜いちゃったりしないかしら」


 係員が咳払いをする。僕は、きちんと管理されているので、心配は無用だと戒めた。


「じゃあね、ボクちゃん」


 メグミさんは手を振って面会室を出て行った。
 拘置所を出て、僕はスナック「リリー・ベル」へ足を向ける。現場検証が終わった店 は、数日振りに営業していた。
 カウンターにはメグミさんよりも年上だろう女性がいて、不審そうに僕を見る。メグミさ んの担当弁護士であることを告げると、彼女はイスをあごでしゃくった。彼女の名はハ ルエさん。開店当時からの古株だそうだ。
 僕がビールを頼むと、よく冷えたグラスに注いでくれた。僕はハルエさんにも勧めて、 グラスを合わせる。


「野崎さんって悪い人じゃないんだけど、全然働かないし、だらしがないのよねぇ。それ に嫉妬深いし、あたしはママに何度も注意したのよ。甘い顔しすぎちゃいけないって。 まさかこんなことになるなんてねぇ」


 ハルエさんはカウンターに身を乗り出し、小声になった。誰がいると言う訳でもないの に。


「あたしたちの間では、ママの男関係で揉めたんじゃないかって言ってんだけどね」

「メグミさん、野崎さん以外に恋人がいたんですか?」


 ハルエさんはきょとんとして、次に笑った。


「野崎さんが勝手にのぼせてただけよぉ。そりゃあ昔からのお客さんで苦しい時にはい ろいろ助けて貰ったけど、ママもあんな男に入れあげるほど馬鹿じゃないもの」


 僕は益々分からなくなった。何が原因でこの事件は起きたんだ。
 ハルエさんは店で撮ったスナップ写真が入っているアルバムを出してくれた。クリスマ スなど、パーティーの時の物がほとんどだ。メグミさんが男性客と楽しそうに映っている 後ろに野崎がいて、面白くなさそうにメグミさんを見ているのが分かる。そんな写真は 他にもあり、僕は数枚を借りることにする。直ぐに二人連れの客が入ってきて、ハルエ さんは営業スマイル全開で迎え入れた。
 僕は会計を済ませたついでにこの店の今後を問う。自分がママとなって、新装開店 の予定だと、ハルエは嬉しそうに答えた。

 その後、何度か面会を重ねてもメグミさんは変わらなかった。罪を全面的に認めてい るから裁判の進行も早い。数回の審理を重ね、5日後には最終弁論となる。全ての審 理を終えてしまえば、あとは判決を待つばかりだ。
 
 僕は事務所に残り、今回の事件を一からなぞっていた。
 花瓶で殴った後、更に包丁で腹部を刺すという残忍性は、メグミさんから見て取れな かった。何かきっかけがあった筈なんだ。
 僕はカラーコピーした写真を、また眺める。どんな些細なことも見逃さないよう、ボー ルペンで升目をつけた。間違い探しや探し物をする時は昔からこうしている。全体を見 ていても気付かないことが、細分化することで見つけやすくなるからだ。


「……あれ……?」


 違和感は、突然襲ってきた。写真はクリスマス以外にも、ひな祭り、ゆかた祭りのも のがあった。季節や行事によって、店のホステス達は衣装を変える。ママである、メグ ミさんも例外ではない。それなのに、ひとつだけ不自然なところがあった。


「……リリー・ベル……」


 僕は受話器を手に、短縮ボタンを押した。電話は検察庁に繋がった。


「お久し振りです」

「……やっと終わるってのに、まだ何かあるの」


 メグミさんは面倒くさそうに、乱暴にパイプイスに腰を下ろした。今日は機嫌がよくな いようだ。


「会って貰えてよかったです。でないと、僕は全部憶測で書面を埋めないといけません でした」

「こんな手紙寄越されちゃあね」


 メグミさんはガラスに、僕が送った手紙を押し付けた。『真相が掴めた気がしていま す。会ってお話しましょう』。書いたのは、それだけだ。


「何なのよ、真相って」

「メグミさん、言いましたよね。刺したのは、必要だったからだって。その意味が分かっ たんです。僕は最初から間違っていました。てっきり、野崎さんを殺すために『必要』だ ったんだと思っていました。でも、そうじゃなかった」


 メグミさんの目に動揺の色が浮かぶ。僕は出来るだけ威圧感を与えないようにゆっく りと話した。


「あなたは取り戻そうとしただけなんじゃないですか。おそらく、これを」


 メグミさんに見えるように、ビニールパックをガラスに着ける。イスの背にもたれてい たメグミさんはそれに惹かれるようにガラスに手を伸ばした。口が閉まるタイプのパッ クに入っているのは、安っぽい指輪だ。すずらんをかたどったそれは、所々黒く変色し ている。拘置所で預かっているメグミさんの荷物にあったのをお願いして借りてきたの だ。


「野崎さんはあなたに恋人がいると思い込んでいた。それは、この指輪のせいです。あ なたはどんな服を着ても、必ずこの指輪をしていました。それだけあなたには大切なも のだった。野崎さんはこれを男性から貰った物だと思っていたんですね」


 メグミさんは何も答えない。僕は導入部が間違っていないのを確信し、更に続けた。


「どんなやり取りがあったかは分かりません。でも、野崎さんはこの指輪をあなたから 取り上げて、……飲み込んでしまったんじゃないですか」


 だからメグミさんには必要だったのだ。野崎さんを刺すことが。


「やっぱり弁護士さんねぇ、よく見てること」

「何故野崎さんに話さなかったんですか。これはお母さんの思い出の品だと」


 指輪のことは、ヨウコさんに確認をとった。酷く酔っ払った夜に、メグミさんが話してい たそうだ。たった一つの、母親の思い出なんだと。


「言えないわよ。……もう何十年も会ってない、自分を捨てた女の物を馬鹿みたいにず っと着けてるなんてカッコ悪いったら」

「カッコ悪くなんか……」

「このこと、裁判では黙ってて」

「メグミさん」

「あたしは野崎を殺したの。こんなちっぽけな安物の指輪のために……。そりゃあどう しようもない人だったけど、いろいろ助けて貰ったのよ。バブルの頃はあの人も羽振り が良くてね。『ママ、頑張れよ』って応援してくれて……。そうよ、あの人は、ずっと傍に 居てくれたのに……」


 そのあとは声にならなかった。残りの時間、僕は掛ける言葉が見つからなくて、泣き じゃくるメグミさんをただ見ていた。そして自分勝手なことに、最終弁論の進め方を思 案したりもしていた。
 面会時間が終わり、係員がメグミさんを連れて行く。出て行くときにメグミさんははっ きりと言った。


「お願いします。あたしを、死刑にして下さい」


 僕は弁護士として、依頼人の死刑を望むことは出来なかった。
 計画性の犯行ではないこと、彼女が十分に反省していることを材料にして書面を作 成し、結果、メグミさんには7年の実刑判決が下された。裁判長がそれを告げると、メ グミさんは目を閉じて眉間にしわを寄せた。
 法廷から出るドアの手前で僕を振り返り、頭を下げた。


「ありがとうございました。先生」


 それはとても小さな声で、去り際彼女は寂しそうに笑った。
 メグミさんが刑務所で自らの命を絶ったと、刑事さんから聞かされたのは判決から3 日後だった。
 メグミさんの骨は、ハルエさんが引き取ると申し出たそうだ。
 僕に出来たのは、たったひとつ。メグミさんの骨壷に指輪を入れて下さいと、頼むこと くらいだった

―終わり―


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