|
|
○冷凍庫 吹雪の音。 寒さにうずくまっている薫子。舞台端の箱に座っている忠。 薫子「……寒い。何と言う寒さ、凍りつくようだわ。私の手も足も、髪の毛さえも……。ラストニア、私の国。一年の半分は冬将軍が支配するこの国。私は王女オリゲルド。私の心に永遠に春が来ることはない。氷の雨より冷たい人々の心が私を冬将軍の娘にしてしまった。……吹雪よ、私の兵士たちよ。敵はあの城にいる。行って凍えさせておしまい。闘え、闘うのだ、兵士たちよ!城は落ちる、きっと落ちる、私の手に! 誰も許すものか、誰も信じるものか。あの城を落とすまで。その日まで私の心の中の吹雪は止むことなく氷も溶けることは無い。決して……」 吹雪の音。膝を折る薫子。 忠「あの」 薫子、振り返る。 忠「何してるんです? さっきから」 薫子「私は王女オリゲルド」 忠「違うと思います」 薫子「ここはラストニア、私の国」 忠「……(そっぽをむく)」 薫子「……無視?」 忠「邪魔はしません。お気の済むまで、どうぞごゆっくり」 薫子「一人でやってどうするのよ。バカみたいじゃない」 忠「でしょう?」 薫子「(睨む)……」 忠「――いいえ」 薫子「ナニが?」 忠「は?」 薫子「『いいえ』って言ったじゃない」 忠「いいました?」 薫子「やな感じ」 忠「すいません。今はコント見る気分じゃないんです」 薫子「あたしだってコントやる気分じゃないわよ」 忠「それはコントじゃなくて、何なんです?」 薫子「……ヒマ潰しよ」 忠「はあ」 薫子、扉の方を指差す。 薫子「ねぇ、もう一度呼んでみたら?」 忠「……(やる気の無い顔)」 薫子「何よ、その顔」 忠「察して下さい」 薫子「だって、扉が閉まってから何分経つと思ってるの。もしかして忘れられてるんじゃない」 忠「一応生命の危機ですから、忘れられてはいないでしょう。なのに開かないってことは、開けられない状況にあるってことだと思いますよ。何てったって……、(ポケットから鍵を出す)鍵がここにあるんですから」 薫子「それはそうだけど……、だから業者を呼ぶとか、鍵屋を呼ぶとかあるでしょう」 忠「そういうことを、今、外でやってるんです。手を尽くしてくれてる筈ですよ。誰か呼びつけたところで、話し相手になって貰うくらいしか出来ませんし」 薫子「いいわよ。それでも、ヒマ潰しにはなるじゃない」 忠「この時間にヒマな人間は、僕くらいですよ。やることがない人はとっくに帰宅してます」 薫子「……そっかぁ……」 忠「……さっきの続き、やりますか? 見てるだけでいいなら見てますよ。何かのお芝居のセリフですか?」 薫子「……知らない? 『ガラスの仮面』」 忠「ええ」 薫子「君、女兄弟いないでしょ。女の子なら誰でも一度は読んでるわよ」 忠「女の子……」 薫子「……(睨む)」 忠「(焦って)えっと、小説か……、漫画ですか」 薫子「少女漫画。すごい人気の。そっかー、知らないかー。じゃあ『あたし女優になります!』とか、『紫のバラの人……』とかも分かんないんだよね」 忠「知らないですねぇ。そんなバラあるんですか? 僕は『バリ伝』とか好きですけど」 薫子「話になんない」 忠「……(肩をすくめる)」 薫子「あーあ。ダメね。最近の若い子って!」 忠「……すいません」 薫子「……気に入らないなあ」 忠「え」 薫子「何、その適当な言い方」 忠「はあ」 薫子「君、今、何に対して謝ったのよ」 忠「えーと、一応、若者の代表として」 薫子「代表? 君が?」 忠「だって僕が、あなたが会う最後の若者かもしれないでしょう?」 薫子「……」 忠「……なんてね」 薫子、塞ぎこむ。 忠「大友さん?」 薫子「最後・なの?」 忠「はい?」 薫子「(長めの間)……死ぬと思う?」 忠「――いずれは」 薫子「そういう意味じゃなくて」 忠「大友さん、死なない人って見たことあります?」 薫子「ないわよ」 忠「ですよねぇ。ああ、びっくりした」 薫子「……あたしが言ってるのは、今の話なんですけど」 忠「変わらないでしょう、大して。今でも、百年後でも」 薫子「変わるわよ!」 忠「どういう風に?」 薫子「どうって……」 薫子、木箱に座る。鞄から名刺入れを出し、一枚取り出す。 薫子「えっと、佐川……忠君」 忠「はい」 薫子「佐川君は、いくつ?」 忠「………………26.5」 薫子「てん、ご?」 忠「(足を上げて)右の方がちょっと大きいんですけど。27だとぶかぶかなんですよね。靴って左右別々に買えるといいなとか、たまに思いません?」 薫子「思わない。ロスが多すぎる。管理が面倒になるだけ」 忠「そうですか?」 薫子「ひとつのデザインに対して、サイズが5タイプとする。23と、23.5を片方ずつ持っていかれたらどうするの?」 忠「残った片方を買いに来る人を待ちます」 薫子「そんな効率の悪いこと、出来る訳ないでしょう」 忠「ああー……、そうかなぁ……」 薫子「そうなの。で、質問に答えなさい」 忠「質問」 薫子「忘れた振りしない」 忠「……身長は、165です。親に期待された割には伸びませんでした。牛乳の摂取量と成長率が比例しないことは身をもって証明できます。えーと体重は……」 薫子「誰がそんなこと聞いたかな」 忠「コーヒーに、砂糖はひとつ……」 薫子「わざとやってるでしょう」 忠「ははは」 薫子「言いたくないの?」 忠「聞きたくないんですよ」 薫子「何を」 忠「……24です」 薫子「そんなもんか」 忠「そんなもんです」 薫子「(言い難そう)……あたし、36なのね」 忠「ほらぁ」 薫子「ほら?」 薫子、睨む。忠、顔を逸らす。 忠「いいえ、どうぞ」 薫子「……で、独身なんだけど」 忠「あーあ」 薫子、立ち上がって叩くフリ。逃げる忠。 忠「危ないですよ」 薫子「あーあ、はないでしょう」 忠「聞かされる方が気まずいこともあるんですよ。どうしろって言うんです」 薫子「どうもしなくていいわよ。黙って聞いてなさい」 忠、肩をすくめる。 薫子「だからね、あたしは君より若干お先に産まれて、36年経つ訳だけど、それでもまだやってないことっていっぱいある訳よ。ディズニーランド行ってないし、劇団四季の『キャッツ』はチケット取れないしさ。グルメだって満喫してないわよ。帝国ホテルのケーキバイキングに、ニューオータニのランチバイキング。久兵衛のお寿司だって一度も食べた事ないし。あー、さっき急いでサンドイッチなんかかっ込むんじゃなかったなぁ。アレが最後の食事かと思うと死んでも死にきれないっての。うわ、部長に言われてた新店舗の資料のまとめ、まだ途中だったんだ。デザイン画、引き出しに入れてあるんだけど、誰か気付いてくれ……、る訳ないか。みんな、手ぇいっぱいだったもん。明日の昼イチに会議だってのに間に合わなくなっちゃう。まずい、ホントまずいわ。あーもう! どーしよ。どうしたらいいの? あたし、こんなとこでこんな事してる場合じゃないんですけど!! って、ちょっと! あくびしてないで、何とかしてよ! ここ、君の会社の冷凍庫でしょう!」 忠、あくびの後、寒そうに縮こまる。 忠「すいません、何が言いたかったか、よく分かんないです」 薫子「え、いや、だから」 忠「これでも電源は切って貰ったんですよ。冷風、止まったでしょう」 薫子「でもまだ寒いもの」 忠「それはまあ、周りが全部冷凍モノですからね。氷に囲まれてるのと同じっていうか」 薫子「あとどれくらいで開くの」 忠「まず業者に連絡して、担当者捕まえて、ここまで引っ張ってきて、開けて貰うしかないでしょう。こんな時間だから手間取ってるんじゃないですか」 薫子「まさか朝まで掛かるんじゃないでしょうね!」 忠「ないとは断言しかねます」 薫子「嘘!」 忠「――かも知れません。現状では、僕にはなんとも」 薫子「ねえ、何でそんなに落ち着いていられるの?」 忠「落ち着いてる訳じゃないです。寒過ぎて、怒鳴る元気がないんですよ。大友さん、元気ですねぇ。逞しくて羨ましいです。やっぱりひと回り上だと違うなぁ」 薫子「ケンカ売ってる?」 忠「まさか、人生の大先輩にそんな大それたことは」 薫子「あのねぇ、あたしだって寒いわよ! でもそれよりも、どーしよーもなく腹が立ってんの!」 忠「僕にですか?」 薫子「君の呑気さも腹立たしいけど、自分の馬鹿さ加減にむかっ腹が立つわ」 忠「じゃあ僕に怒鳴られましても」 薫子「……ああ、そう。結局それがいいたかったの」 忠「は?」 薫子「そーよね。どうせあたしが悪いのよねぇ。ここに閉じ込められたのも、中央線がしょっちゅう人身事故で遅れるのも、会社に一台しかないコピー機が今朝急に煙吹いたのも、ぜんっぶあたしが悪いんでしょ」 忠「後の二つは知りませんけど」 薫子「じゃあこの現状はあたしのせい?」 忠「僕は言ってません」 薫子「言わせたでしょ」 忠「酔ってますか? もう黙ってて下さい」 薫子「ちょっと」 忠「もしかしたら、僕らここで死んじゃうかもしれないんですよ? 最期に考えたい事とかないんですか。お互いに、気持ちの整理をつけるように過ごした方が建設的だと思いません?」 薫子「考えたい事?」 忠「あるでしょう。その、やりかけの書類の事とか」 薫子「考えたって、取り返しようがないんだけど」 忠「じゃあ上司に手紙でも書いたらどうです? 大友さんが、新店舗の準備不足と自分の不甲斐なさを悔やみながら死んだんだって事くらいは伝えられますよ。納期が遅れた取引先も同情してくれるんじゃないですか。お墓に帝国ホテルのケーキ、供えて貰えるかもしれないし」 薫子「……(忠を見つめる)」 忠「まだ、何か?」 薫子「いいえ。騒いで、すいませんでした」 忠「どういたしまして」 うなだれている薫子。忠、手遊びをしながら、薫子を気にしている。 薫子が動かないので、くしゃみをしてみる忠。 薫子「……」 忠、咳払いをする。 薫子「……」 忠「大友さん?」 薫子「……」 忠「大友さん」 薫子「……」 忠「(立ち上がる)大友さん!」 薫子「何……?」 忠「(ため息)……脅かさないで下さいよ。死んだかと思うじゃないですか」 薫子「残念でした」 忠「眠いですか?」 薫子「(首を横に振る)喋るの面倒臭い」 忠「……黙っててもいいですけど、寝ないで下さいね」 薫子「何、寂しいの」 忠「じゃなくて。こんなところで寝たら死にますよ」 薫子「電源切ったんでしょ」 忠「でも周りが氷だらけなんですから。かまくらの中にいるようなもんですよ。と言うより、墓の中って感じですね。こいつら、全部死んでるんですよ。普段スーパーに並んでても何とも思わないけど、よく考えたらあれも、毎日死体の品評会見せられてるようなモンなんですよねぇ」 薫子「あのさぁ」 忠「はい」 薫子「止めない? そういう後ろ向きな想像するの。『死ぬ』って言葉も、結構笑えない」 忠「……分かりました」 長めの沈黙。 薫子「……寒いね」 忠「……ええ」 薫子、下手を見て。 薫子「ねえ、あの上の棚、何があるの?」 忠「(そっぽを向いている)さあ」 薫子「見なさいよ!」 忠「見たって分からないですよ。僕は普段、本社勤務なんですから」 薫子「使えない!」 忠「望むところです」 薫子、忠の襟を引っ張って立たせる。 忠「は? え? 何です?」 薫子「付き合いなさいよ。どうせやることないんだし」 忠「気になるなら自分で上って下さい」 薫子「あんな高いところ、危ないでしょう」 忠「僕が上るにしても、高さと危険度は同じですよ。そのスーツ、このために着て来たんじゃないですか。文字通り、お誂え向き≠チてヤツですね」 薫子「ごちゃごちゃ言わない。こういうのは、男の仕事なの」 忠「もぉ〜〜〜!」 二人、退場。 ○休憩室 ドアの音。 聡美、下手から出てきて鞄から携帯を出す。掛けようとしたところで、ドアの音。 山下、入ってくる。 山下「おう、お疲れさん」 聡美「……(礼)」 山下、振り返って。 山下「(疑わしげに)誰だい、アンタ」 聡美「あ、あの……佐川・です」 山下「佐川ぁ? ……あ。(急変)そっかそっか、そうだよなぁ。いやぁ、こんな時間にご苦労さんだねぇ。見た? 冷凍庫。あっちにあるんだけど」 聡美「(頷く)でも、あそこにいても何も出来ないんで、こっちで待ってて欲しいって」 山下「あ、そう。まぁそうだよなぁ。外でぼーっと突っ立っててもしょうがないよな」 聡美「……はぁ……」 山下「ちょっとごめんよ」 山下、椅子の周りをうろつく。 聡美、背を向けて電話をする。「お客様のお掛けになった番号は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため掛かりません」のアナウンス。 山下、探し物をしているが、だんだん調子が上がってくる。 山下「(振り付き)♪マイアヒ〜・マイアフ〜・マイアハ〜・マイアハッハ〜!」 聡美「!?(大声に振り返る)」 山下「♪マイアヒ〜……」 二人、目が合う。 山下「おっちゃん、うるさいか?」 聡美「……いえ、よくご存知ですね」 山下「家で娘がずっと聴いてっからなぁ。あれ、一度聴くと回るよな。一日中頭が♪マイアヒ〜・ハッハー! ってな」 山下、服のポケットをあちこち探る。 聡美「あの、何かお探しですか?」 山下「や、どうもね、どっかにボールペンを落としたみたいで」 聡美「……ボールペン」 聡美も近くを見回す。 山下「お、すまんね。ったく、ウチの総務が渋チンでね。ボールペンの替え芯ってあるだろ。あれ用意しやがって、無くなった芯持ってかないと、新しいのくれないんだよ。ごと無くしたなんて言ったら、自分で買いなおせって言われちまう」 聡美「……世知辛いですね」 山下、驚いたあと、笑う。 山下「お嬢ちゃん、難しい言葉知ってるねぇ。いや、お嬢ちゃんってのも失礼か、だって……」 ドアの音。野島、入ってくる。 野島「おおぅ」 聡美「……?」 山下「おお、久し振りだな」 野島「これはこれは山下さんじゃないですか。いつもお世話になっております」 山下「珍しいな、あんたがこんなところまで来るなんて」 野島「それはもう、大切な後輩の一大事ですからねぇ。おめおめとゴウホームしていられませんよ。で、いかがです、あちらは」 山下「やー、ありゃ、もうちょっと掛かるねぇ。業者に電話したら、担当がもう帰っちゃっててさ」 野島「ぅん? 携帯は? 連絡つかないんですか?」 山下「それがさ、家に帰ってなくて、携帯も繋がんないんだよお」 野島「奇妙ですね」 山下、聡美を気にしながら小声で野島に喋る。 山下「奇妙でもなんでもないよ、(小指を立てる)こっちが、女房以外にいるんじゃないかってねぇ。やっこさんも、こんな騒ぎがなきゃあバレなかったろうに、ちょっと気の毒だけどな。ま、でも自業自得だし、しょうがないわな。おお、そうそう。部長、元気か?」 野島「相変わらずですよ」 山下「まぁだ血管切れてねぇのか。お前らも大変だな。本社も楽じゃないよ」 野島「リタイヤして正解でしたか?」 山下「全く、俺にゃあ務まんねぇな」 野島「ご謙遜を」 聡美、ボールペンを見つける。 聡美「あの、これじゃないでしょうか」 山下「ん? お? おお! あったあった。さて、俺はさっさと戻らないと。何かあったら呼ぶから、二人とも、しばらく待機しててな。お嬢も、狭いとこだけどゆっくりしてな。焦ったってしょーがねぇからな」 聡美「はい」 野島「山下さん、佐川の事、よろしくお願いします」 聡美も頭を下げる。 山下「はいよぅ。あ、あいつと会ったか?」 野島「……いえ」 山下「そっか。何か知らんが、ここんとこバタバタ忙しそうにしててなぁ。まだいるんじゃねぇか。呼んでくるか」 野島「いえ、特に用はないので」 山下「(苦笑)そっか。まぁ、な。奴もどっちかってっと、こっちの方が性に合ってたんじゃねぇか」 野島「……それは何よりです」 山下、出て行く。ドアの音。 聡美、安堵のため息。椅子に座る。 聡美の手の上に座る野島。聡美、手をじっと見て、ゆっくり野島を見上げる。 野島「おおう!」 野島、立ち上がる。 野島「これはこれは、大変失礼を致しました。お嬢さんの可愛らしいライトハンドに、俺は何てことを!」 聡美「いえ、大丈夫です」 野島、聡美の手をとる。釣られて立ち上がる聡美。 野島「本当ですか? このたおやかな指の動きが若干なりともぎこちなくなったりしたら、俺はきっと一生後悔してしまいます。どうかその時は掛かる費用の全てを俺に任せて、共にアメリカに渡りましょう。優秀な外科医の友人がロス・アーンジェルスにおりますので、きっとあなたのお役に立ってくれます。ところでお名前は?」 聡美「(呆気にとられている)……」 野島「あなたとお会いするのは、初めてですね? ええ、もちろんそうです。会っている筈がありません。こんな可憐な方を忘れているとしたら、俺の頭の中に消しゴムがあるとしか思えない。こちらの事務の方ですか?」 聡美「いえ。佐川の……」 野島「ああ、そうですか、佐川君の。ウチの者がご連絡したんですね?」 聡美「ええ。あの……、手を……」 野島「は? ああ、よろしかったら手相でも拝見しましょうか?」 聡美「いえ、結構です」 野島「渋谷駅東口改札で手相を勉強中の、もれなくメガネを着用している輩よりは当たりますよ」 聡美「必要ないんで」 野島「一体何が必要なのか、すべて自己判断に任せるのは間違いの元かと……」 聡美「友人に占い師がいますので」 野島、手を放す。 野島「的確な断り方だ。訪問販売を断る際の常套句ですね。兄弟・親戚に同業がいると聞いたら、彼らは諦めざるを得ません」 聡美「嘘じゃないです」 野島「ええ、ええ、分かってます。あなたの澄んだ瞳には鰯雲さえ浮かんでいない。でもこれは、覚えておくと便利ですよ」 聡美「……何かの際に使わせていただきます」 名刺を出して聡美に渡す。 野島「私(わたくし)は本社で佐川君と共に働いてます、野島です。佐川君より少々先輩です。結構、割と、よき先輩と評判です。あなたのお名前は」 聡美「佐川聡美と言います。野島さんのお名前は何度か聞いてます。いつもお世話になって……。あ、この度はご迷惑をおかけして、すいません」 野島「いえいえ、そんな。妹さんに頭を下げていただくようなことじゃないですから」 聡美「あの」 野島「こちらこそ、お詫びをさせて下さい。夜遅くに年若いお嬢さんを、海風吹きすさぶこんな場所までわざわざお呼び立てして、申し訳ありません」 聡美「いえ、当然のことですから」 野島「うぅん、奥ゆかしいなあ、もうっ!」 聡美「は?」 野島「いえ、何でも。それにしても、今回の対処の手際の悪さには、俺もめまいがする思いです。普段の危機管理の甘さがまさかこんな形で露呈するなんて……」 聡美「あの……、私、詳しいことを何も聞かされてなくて。とにかく来て欲しいって言われたんですけど。野島さんはご存知ですか? どうしてこんなことに」 野島「ええ、それがですね。ううん、まず、座りましょう」 聡美「あ、はい」 野島「隣を失礼」 聡美、場所を空ける。野島、座る。(嬉しそう) 野島「ここはうちの会社のファークトリーになってまして。加工ラインとストッカーがあるんですね。そしてフィッシュ用に、デラックスなフリーザーも置いてあり……」 聡美「あのう」 野島「はい?」 聡美「もう少し分かりやすく言っていただけないでしょうか……」 野島「(苦笑)ああ、これは失礼しました。俺としたことが、突然の出会いにちょっとばかり、張り切りすぎてしまったようです。(深呼吸)ええとですね。この工場は、輸入した食材を惣菜に加工するラインと在庫を管理する倉庫があります。当然貯蔵用の冷蔵庫と冷凍庫がありまして。業務用の、かなり大きなタイプです。ご覧になりましたか? (聡美、頷く)佐川君は、そのうちのひとつに閉じ込められてしまったんです」 聡美「それは、さっき見ました。どうして中に……」 野島「佐川君のお客さんがワガママ言ったんでしょう。商品を取りに来たら、二人して閉じ込められたってところじゃないかと」 聡美「そういうこと、よくあるんでしょうか」 野島「お客さんは平気で無理難題を言ってきますからね。急な発注は、さほど珍しくありません。本来、出荷は5時が締め切りなんですが、佐川君は何て言うか、人のいいところがあるじゃないですか。すーぐそこにつけこまれちゃうんですね。おっと、失礼」 聡美「……いえ、そう言われると、納得できます」 野島「でも彼のそういうところ、俺はいいと思いますよ」 聡美「ありがとうございます」 野島「ありがとう……?」 聡美「扉の件なんですけど。鍵、外から開かないんですか?」 野島「あ、ああ。それが、管理担当の話ですと、鍵が見つからないそうです。多分、中の人間が持ってるんじゃないかと」 聡美「鍵は一つしかないんですか?」 野島「どうやらー……」 聡美「そんなの、変じゃありません?」 野島「ですよねぇ。俺も警備用にマスターがあると思ってたんですよ。ところがこうなってみたら、昔はちゃんと予備があったらしいんですけど、いつの間にか一本しかなかったそうで。これまでも細かいトラブルはあったようですが、中に人が閉じ込められるなんて……」 聡美「中の様子を知る方法は何かないんでしょうか? 携帯に何度も掛けてみたんですけど、通じないんです」 野島「まあそこは冷凍庫ですから。壁も厚くなってますし」 聡美「そうでしょうけど。だから他に手段は無いのかと聞いているんです!」 野島、驚いている。 聡美「案外いい加減なんですね、会社って」 野島「……本当に、申し開きが出来ません。このとおりです(頭を下げる)」 聡美「野島さんに謝られても……」 野島「いえ、俺も会社の一員ですから。謝る位しか出来ないのが歯痒いです。殴るなり蹴るなり、お気の済むようにどうぞ」 聡美「……頭を上げて下さい。……言い過ぎました。すいません。つい、気が立ってしまって。もしかしたらって思うと……」 野島「ええ、ええ、そうでしょう。ご家族からすれば当然だと思います。でも、大丈夫ですよ。ここの人間も業者と連絡を取ってくれてますし、冷凍庫の電源も切りましたから」 聡美「電源を?」 野島「ええ。通常ならマイナス40〜50℃まで落とすんですが、幸い、温度の調整は外から出来ます。彼らが閉じ込められたと気付いた段階で、ここの人間が即座に電源を落としてくれたので、凍死には至らないとのことです」 聡美「そうですか」 野島「でもさっきも言ったとおり、扉が開くまでにはまだ時間が掛かりそうなんです。今しばらく、ここでお待ちいただけませんか?」 聡美「はい……(座る)」 野島「何か飲み物を買ってきますね」 聡美、殆ど聞こえていない様子。 野島、出て行く。ドアの音。 聡美、携帯を出す。掛けるが、「電波の届かない場所にいるか、電源が入っていないため……」のアナウンス。ため息。 聡美「あ―――――――、もう!(椅子を殴る)痛い!」 様子を見ている山下。 山下「おっ、何だ、お嬢。元気じゃねぇか。はいはい、ちょっとごめんよ。はー、どっこいしょ!」 山下、座る。自前の水筒でお茶を飲む。 山下「はーっ! 美味いねぇ。この一服が何とも言えないね。やっぱりね、家から持ってきたお茶が一番美味いよ。飲むかい?」 聡美「いえ、私は……」 山下「まあまあ、飲んでごらん。これね、伊藤園なんだけど。やっぱりお茶はね、伊藤園だよね。おっちゃん、ここのじゃないとダメなんだよ〜。それもこれ、普通のよりちょっといいやつでね。お母ちゃんが奮発してくれたんだよ。ん? そっか、おっちゃんと間接キッスが嫌なんだろ? そうだろ?」 聡美、苦笑い。 山下「やぁや、そうだよなぁ。おっちゃんと同じコップでお茶飲んだりしたら、怒られちゃうよなぁ」 山下、コップを手でゴシゴシ拭く。聡美に手渡し、茶を注ぐ。 山下「はい、どうぞ」 聡美「……」 ドアの音。野島が戻ってくる。 隙を見て、コップの口を拭う聡美。 野島「聡美さん、お待たせしました!」 山下「おう、お疲れさん!」 野島「あれ?」 山下「突っ立ってないで、座れ。遠慮すんな」 野島「どうしたんです、山下さん」 山下「休憩休憩。人が足りなくて、ライン止まっちゃったんだよ。参るよなぁ」 野島「はぁ……」 野島、聡美の隣に座ろうとするが、山下に邪魔される。 仕方なく、野島・山下・聡美の並びで座る。聡美にペットボトルを差し出す野島。 野島「どうぞ」 聡美「あ、すいませ……」 ペットボトルを山下に取られる。 山下「何だよ、気が利かねーなぁ、お前は。いくら定番ったって、サントリーはないよ。そりゃね、ウイスキーは何てったってサントリーが美味いよ。天下のサントリー様だよ。でもね、お茶はやっぱりね、伊藤園。伊藤園なんだよ」 野島「すいませんね、気が利かなくて」 山下「(聡美に)こっちの方が美味いだろ?」 戸惑う聡美。二人から見られて、伊藤園、サントリーを飲み、もう一度伊藤園を飲む。 聡美「あぁ……」 野島「ああ?」 山下「な? 違うだろ?」 聡美「言われ見てれば、少し」 野島「(苦笑)」 山下「ほーら、やっぱり実力って言うか、底力が違うんだよなぁ。お茶はお任せ! みたいな心意気、感じるだろう? 深みがあるって言うのかなぁ。これがね、おっちゃんと野島ちゃんの違い。なんて、なんてね。なんつってね。はっは、はっはっはっ! おっと」 携帯の着信音。山下、出る。 山下「はいはいー? ああん? 揃った? 揃ったって、今言われてもなぁ。先やっといてよ、後から行くから。あ? ああ、やかましいやかましい。行くよ、行きゃいいんだろ」 山下、携帯を切る。 山下「あー、ったく、うるせぇババアどもだ。だったら最初っから時間通りに来いっつーんだよな。嬢ちゃんは、こんななるんじゃないよ」 山下、笑いながら立ち上がる。 山下「んじゃ、行ってくるわ」 野島「お疲れ様です」 山下、出て行く。(小声で♪マイアヒ〜) ドアの音。 聡美「ホントに賑やかな方ですね」 野島「ええ、全く。昔は鬼で通ってたんですが」 聡美「山下さんが?」 野島「ええ。俺が入社した頃、山下さんは本社勤務で、営業部の統括だったんです。怒鳴られない日はないってくらいでしたよ」 聡美「優しそうな方でしたけど」 野島「そうなんですよ! こっちに異動した途端に人が変わったみたいにニコニコしだして。そんなことされたらこっちは返って背筋が寒くなります。……あ」 聡美「はい?」 野島「それ、飲みます?」 聡美「え? あ、すいません。お金……」 野島「いや、そんなのはいいんですけど、何ならもう一度買って来ようかって。その、えっと……、伊藤園じゃ、ないんで……」 聡美、笑う。 聡美「大丈夫ですよ。いただきます」 野島「そ、そうですか?」 聡美「私、お茶にはそんなに詳しくないですから」 野島「山下さん、昔からお茶にはうるさくて。女子社員も泣かされてました。奥さんの煎れるお茶が一番美味いって、いつも言って」 聡美「奥さんが煎れたサントリーだと、どうなんでしょう」 野島「黙って飲むらしいです。渋い顔しながら」 二人、笑う。 聡美、お茶を飲む。じっと見ている野島。 聡美「(笑顔で)美味しいです」 野島「……」 聡美「野島さん?」 野島「(泣きそう)天使だ……」 聡美「勘違いだと思います」 野島「そんなことはありません。この出会いは、俺に取ってかけがえのないものとなるでしょう。聡美さん、よかったら、お茶でも……」 聡美「いただいてます」 野島「現状ではなく、今度、俺と……」 聡美「(聞いていない)あちらの様子はどうですか」 野島「え、あちら……」 聡美「ええ」 野島「あ、は、ははっ。いやぁ、動きは見られませんでしたねぇ。全くここの連中は」 聡美「今、忘れてました?」 野島「とんでもない! (腕時計を見る)もうこんな時間か。神よ、一刻も早く、彼らに光を……」 立ち上がる聡美 野島「聡美さん?」 聡美「様子を見てきます」 聡美、出て行く。ドアの音。 野島「え、あの」 野島、追いかけようとすると、携帯が鳴る。 野島「ああ、もう。(電話に出る)はい、野島です。ええ、そうです。来てますよ。いえ、まだ二人とも中ですが……」 野島、携帯で話す。(サイレントの演技) 薫子、忠、下手から出てきて、野島の周りをぐるぐると歩き回る。 薫子「ねえ」 忠「はい」 薫子「楽しい? これ」 忠「ハムスターに聞いて下さい」 薫子「はい?」 忠「彼らもひたすら同じところを回ってます。楽しいんですかね?」 薫子「聞いたのはあたしなんですけど」 忠、止まって振り向く。薫子も止まる。野島、電話しながら退場。 忠「……どうです?」 薫子「何、あたし、ハムスターなの?」 忠「随分可愛く出ましたね」 薫子「どういう意味よ」 忠「何でも」 忠、歩き出す。 薫子「ねえ、これ、全然楽しくないんだけど」 忠「ちょっとは自家発電しましょうよ。最近車移動が多くて運動不足だったし」 薫子「でも、ただ歩いててもね」 忠「じゃあ、スキップでもしますか?」 薫子「スキップ!?」 忠「忘れました? 遠い時代すぎて」 薫子「覚えてます」 忠「じゃあどうぞ」 忠、座り込んで、薫子を見上げる。 薫子「そんなこと言って、君、出来ないんじゃないの」 忠「スキップを? そんな訳ないでしょう」 薫子「子供の頃、出来ない子だっていたじゃない」 忠「僕は出来た子でしたから」 薫子「だからって、できない人間を笑うの?」 忠「僕が? いつ?」 薫子「笑ってない?」 忠「見ての通りですよ」 薫子、忠に近付き、顔を覗き込む。 薫子「……なら、いいけど」 忠「やります? スキップ」 薫子「君がやったらね」 忠「しょうがないなあ」 忠、スキップ。薫子の周りを回る。笑い出す忠。 薫子「何笑ってんの」 忠「これ楽しい!」 薫子「嘘ぉ」 忠「うわ、楽しっ! ひゃっほー!」 薫子「わざとらしい」 忠「何かね、見る景色違いますよ。あ、何かシンセーン(新鮮)」 薫子「いいわね、君。簡単で」 忠「大友さんもやりましょうよ!」 薫子「えー? すごい久し振りなんだけど(まんざらでもなさそう)」 聡美、出てくる。扉をノックをする音。返事がないので大きく叩く。 薫子「……何か、音、した?」 忠「へ?」 扉を叩いている聡美。 冷凍庫の中と外で会話が交錯。 薫子「やっぱり、誰か叩いてる!」 二人、扉に近付く。 聡美「あのー、聞こえますかー?」 二人、顔を見合わせる。 忠「聞こえます。生きてますよー」 聡美「大丈夫ー? 寒くない?」 薫子「寒いわよ!」 忠「大友さん! 噛み付かないで下さいよ」 薫子「だってバカなんじゃないの!? 寒いに決まってんでしょう!」 忠「しょうがないですよ。向こうにはこっちの状況は分からないんですから」 薫子「だからって」 聡美「二人とも大丈夫なの? 体、何ともない?」 忠「えーっとね、快適・ではないー……。寒い!」 薫子「早く開けてよ!」 聡美「もう少しで開くと思うから、頑張ってね」 忠「よろしくお願いします。こっちは二人とも元気ですから。(小声で)特に一人」 薫子「はい?」 聡美「もう。冗談ばっかり言って」 薫子「ちょっと笑ってない?」 忠「あのー、あとどれくらいで開くんでしょう? その辺、誰か男の人いませんか?」 聡美「もう少しだからね。野島さんもわざわざ来てくれてるの」 忠「はーい、分かりました。ご苦労様でーす。そっちも頑張って下さい」 扉から離れる忠と薫子。野島、出てくる。 野島「どうです、中。話せましたか?」 聡美「ええ、二人とも、退屈してるようだけど、元気そうです」 野島「退屈ですか、余裕だなぁ。普通ならカリカリしそうなもんなのに」 薫子「早くしてくんないかなぁ」 聡美「根がお気楽なんです」 忠「何とかなりますよ」 野島「お客さんは何か言ってました?」 聡美「ちょっとご機嫌ナナメかもしれません」 薫子「誰、今の?」 忠「多分パートのおばちゃんじゃないですかね」 薫子「いいわね、呑気で」 野島「佐川! もう少しで出られるからな。頼んだぞ!」 薫子「……何か言った?」 忠「気のせいでしょう」 野島「夜はさすがに寒いですね。戻りましょう」 聡美「でも……」 野島「聡美さんが風邪を引いては元も子もないですよ」 聡美「……はい」 野島と聡美、退場。 |